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子供と共に修煉の道を歩もう

(明慧日本)私は、自分の周りに私と同年齢の同修がたくさんいることに気づいた。大半の子供は、大法に対する良い認識を持っているが、皆修めているようで修めていない状態だった。ここ数年間、私たちは衆生を救い済度することで忙しく、子供も勉強で忙しかった。もし私たちが世人を救い済度する時に、大法を学びたい常人に出会えたら、ただちに師父の慈悲に感謝し、縁のある人に出会えたことで感無量なのかもしれないが、えてして身の回りで最も縁のある人、すなわち自分たちの子供の修煉をないがしろにしてしまいがちである。

 最近の娘の変化について書き出し、私と同じ状況に置かれた同修と交流したい。

 娘は小さい時から、私は真相を伝えることを助けたりして、お守りと『九評』を作ることを手伝っていた。時には学法もしていた。私も時折、子供と修煉について交流していた。しかし、娘が高校生になり、寮に住むようになって2、3週間に一度しか帰って来なくなり、私はもう早く起きてご飯を作らなくてすむと思い、より多くの自由になれる時間ができた。しかし、しばらくすると、子供がますます大法から離れるようになり、家に帰ってもいつもパソコンをしたり、ポップミュージックを聞いたり、ファッションに時間を費やすようになったことに気づいた。しかし、その当時私は、この子は大法を学んだことがあり、大法の良さも知っているから、あとは師父の按配に任せようと思っていた。

 去年から、娘の成績が急に落ち始め、しかも、もう寮に住むことを嫌がるようになった。自宅通いになると、遠くなるし、冬は寒いし、私も自由になる時間が少なくなる、などとまったく常人の観念からこのことを考えていた。ある日、私は家に帰る途中、子供が自宅から通うことが面倒だと思っていた時、突然、師父による啓示を感じた。子供が法から離れ、成績も落ち始め、どうしても自宅から通いたいと言うのは、私の関心を引き起こしたいのではないか。師父はかつて、米国西部国際法会での説法の中で、「大法弟子の子供、家族を失った子供に対して私たちは何もしないわけにはいきません。これらの子供は私の小さい弟子であり、皆さんと一緒に修煉する小さい修煉者なのです。」とおっしゃっていた。師父は、この子を見落としたくないのだ。やっと法理に基づいてはっきりするようになり、問題の本質も見えるようになった。この子は、クラスの担任が前から自宅通いのデメリットについてたくさん列挙し、やめさせようとしていた。ちょうど娘は自宅から通うのはやめようと思った瞬間、ただちに頭の中で、私はあなた達とは違う、家に戻れば私はより多くのものをもらえる、という一念が脳裏に浮かび上がった。この一念はどこから来たのだろうか、師父が子供に啓示を与えているのではないか。

 今、私は娘と毎晩1時間ほど一緒に学法している。学法をする時、私は子供に集中するようにと教え、そして子供の法に対する認識を感性から理性に昇華させようとしていた。学法する時に気が散るのを避けるため、子供はいつも1時間ほど法を朗読していた。口が乾いたら水を飲んで続けて読んでいた。子供の変化が大きくなり、学法する時はいつも興奮して、私に対して「お母さん、師父は私たちの病気を取り除いて、しかも数千万の良いものをくださいました。世の中にどうしてこれほどいいことがあるのでしょうか。師父は私たちから何か欲しいのでしょうか。」と聞いた。私は「師父はあなたのその善に向かう心が欲しいのですよ」と教えた。

 「憑き物」のところまで学ぶと、私は一部の天目が見える同修が見た、人類社会の汚れた現状と腐敗について、子供と交流した。数日間、子供は心身共に変化し、私は再び大法の威徳を感じた。

 子供に真に法を得させることは、私たちのような常人の中で修煉する大法弟子の子供に対する愛の真実の現れである。

 2007年1月6日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/12/19/145026.html