■日本明慧 http://jp.minghui.org/2007/01/07/mh080851.html 



法輪功学習者・陳光輝さんは蘇州刑務所で2年間の迫害を受けた末に死亡

(明慧日本)陳光輝さん(男性)は南京大学の卒業生で、元・中国人民建設銀行連雲港支店の部長兼コンピュータ課副課長。1995年に法輪功を修煉し始めてから、仕事はさらに一生懸命にこなし、人を助けることが好きで、皆の中では大変評判が良かった。1999年7.20、法輪功が迫害を受けてから、陳さんも「真善忍」の修煉をしただけで絶えず迫害された。

 1999年7.20前後、陳さんは南京の省政府へ直訴したのち、連雲港へ戻ってから勤務先から停職され、職場の監視室で拘留された。1999年10月、勤務先は陳さんに対して、テレビで懺悔することを強要したが、陳さんはそれを固く断った。同年12月、連雲港市公安局は彼を不法に拘留し、不法に1年6ヶ月の強制労働の刑を強いた。

 不法に強制労働されて満期後、陳さんは北京のあるコンピュータ合資会社に雇われた。陳さんは1年間の収入をすべて真相を伝えることに費やした。2001年6月、北京の資料拠点は通報されて破壊され、陳さんも連行され、連雲港市公安局に不法に連行され審査されたという。2001年6月21日、陳さんは連雲港新浦公安支局南小区派出所で審理される際、正念で脱出した。その後、中共公安部に全国指名手配された。

 陳さんは2001年9月10日に再び不法に連行され刑事拘留された。1年後の2002年9月12日に、南京市白下区共産党に8年の刑を不法に言い渡され、蘇州刑務所へ送られ迫害され続けた。

 2004年7月29日、陳さんは後頭部に何故かひどくケガをし、意識不明のままで危篤状態に陥った。2004年8月4日になってから、警察がようやく家族に通知した。家族は陳さんを面会した際も刑務所の警察が周りで監視した。陳さんの家族は彼を治療するために自宅へ連れ戻したいと申し込んでも、刑務所側と江蘇強制労働局は一向に無視していた。

 陳さんは迫害され意識不明になってから、すでに2年以上が経っており、血糖値は20強で、血圧は30強のひどい数値であるにも拘わらず、2006年12月12日午後逝去するまでに中共らに蘇州の病院に監禁されたままだった。

 2007年1月7日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/12/16/144793.html

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