日本明慧
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意志を阻害する安逸心について

(明慧日本)私は同修たちの書いた最も根本的な執着を取り除くことに関する文章を読んでから、絶えず自分の根本的な執着を探していた。偶然にも、隣人と会話する中で「私はただ皆と仲良く平淡で親族に先立たれない日々だけを求めています。」と私は言っていた。表面から見て、このような生活に対する要求は決して高くはないが、一人の大法弟子からすればこれは非常に危険で、非常に深いところに執着が隠されていて、そのため旧勢力に迫害する隙を与えてしまうことになる。

 簡単に言えば、私は家族の皆が仲良くなることを望んでいるではないか。それを見て旧勢力は、私の夫に不倫させた。私は平淡な生活を求めているではないか。それを見て旧勢力は、私の子供を非常に不条理な子に変えてしまった。私は誰もなくしたくはないのを見て、旧勢力は私の親族を操って、さまざまな方法で貯めていたお金を全部使い切って、夫は消費者金融から借金までしてしまった。そのため、家族は決して落ち着くことなく、いろいろなことに追われる中で、私の心性も低下し、心身共に疲れ果てた。慈悲なる師父は私に自分の執着に気づかせてくださった。私は常に、師父のおっしゃったように、「平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです。」(『転法輪』)と実行するようになった。他人の良いところを多く見るようにして、他人の欠点はできるだけ見ないようにすると、その後、夫と子供が良い方向に変わるようになった。夫は大法に対して新しい認識を持つようになり、親子そろって時々私が法を正すことを助けてくれた。私の心性もさらに昇華できた。

 しかし、私の生活が協調されるようになってから、私は却って精進できなくなり、ある種の力に制約されていた。この状態が悪いと意識しながらも、ただ焦っているだけで、同修と交流する時も自分があまり法を学んでいないことと煉功が少ないことから、他の弟子に遅れを取っていると嘆いている。どうしても精進できない。その力の束縛は非常に強く、どうしても私が法を学び、煉功し、真相を伝えることをさせず、ただ享楽だけを求めるようにさせていた。

 私は心を静めて、何度も繰り返し原因の所在を探し、この安逸心を見つけ出した。また、旧勢力に隙に乗じられてしまった。私はさまざまな妨害を経験し、その後落ち着いた生活を手に入れると、それをなくすのを恐れて、無意識のうちにそれをなくすまいという心が強くなり、それを見て旧勢力も少しずつ私の意志を阻害し、私に自分が法を正す時期の大法弟子であること、師父と一緒に法を正すことを忘れさせ、私を迷わせ、私の正念を失わせ、そして私をだめにしてしまう。これが旧勢力の最終的な目的である。

 私は無意識のうちに合掌して、涙を流しながら師父の慈悲なる済度を強く感じた。私は徹底的に旧勢力の按配を否定し、さまざまな執着心を取り除き、正念を強め、精進するよう努力する。

 2007年1月9日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/1/9/146378.html