日本明慧
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法をよく勉強し、法に溶けこむ


 文/大陸大法弟子

(明慧日本)師父は毎回の説法の中で我々にもっとよく法を学ぶように説かれた。わたしもずっとこのように行っていると思っていた、しかし対立が表れるたびに、よくできなかった原因を探ると、落ち着いて法を学び、正念をもって法を学ぶのではなく、したがって自己とエコがときどきわたしに付き纏っていた。

 最近体の調子が悪く、わたしは思った。「わたしは大法を学んでいて大丈夫だ」師父が『転法輪』の中で「あなたは功の変化にばかり夢中になって、心性の変化を重んじないかも知れませんが、心性の向上がなければ、全体的な変化はありえません」(『転法輪』)と説いておられる。私のなにも失いたくない心は、どんなにエゴだろうか。師父は我々に無私無我、他人を先に、自分を後の生命になるよう教えておられる。

 最近対立や摩擦があると、自分に向かって探しているが、どう考えても他人が自分を傷つけていて、つらい思いをして、不平と感じていた。師父はこう言われた。「誰でも何かのことに出会った時いつでも外へ向かって探します。『あなたはなぜわたしにこのようなことをしたのか?』 心の中に不平を抱き、自分の問題を考えません。これは全ての生命にとって、一つの最大かつ致命的な障害です」。(『シンガポールでの法会における講法』)

 私は落ち着いて法を勉強し、自分が法の上に立って法を認識していなかったことがわかった。自分が自己を放下できず、いつも他人が自分にもうしわけないと思っていること、自分を傷つけられるのを恐れる心を守ることだった。

 この件で、私は、落ち着いて法を勉強し、問題にぶつかるとき自分に向かって探すと、超えられない関がないことがわかり、法が我々の異なる次元で我々に対して異なる要求があることを悟り、法の内函がわかった。法の教えで、私は生命を変異させるものを見つけた。それを取り除いてはじめて大法に同化し、自分を純正にすることができる。

 大法弟子として、私はまだまだ師父の要求には遠く及ばない、しかし私はいずれできる自信がある。

 個人的認識で、不当なところあれば、慈悲をもって指摘をお願いします。

 2007年1月28日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/1/26/147567.html