日本明慧
■印刷版   

正念をもって仕事に臨み、慈悲をもって衆生を救い済度する(一)


 文/大陸の大法弟子 蓮子

(明慧日本)この数年間、私が仕事の中でどのように修煉し、衆生を救い済度してきたかについて体験を話したいと思います。仕事の中で私が師父のご教示に従って自分を厳しく律した時は、すべてが順調に進み、その上大法の神秘さも実証することができましたが、強い常人の心をもって法を量ろうとするときは、物事を順調に運ぶことができませんでした。

 修煉を始める前に私は、金融とIT業界の仕事に就いていましたが、せっかちで一気に高いレベルに達したいという思いが強かったのです。法輪功の修煉を始めてからは、まったくその反対の行動に走りました。つまり、仕事と修煉の関係をうまく処理することができませんでした。1999年7.20以後、私は何度も北京に行き、資料作りに専念したあまり、常人の仕事を怠けていました。しかし、師父は幾度となく私に正念を強く持つように機会を与えてくださいました。仕事の環境はとても良く、待遇も良かったのですが、しばらくすると、すぐ辞めたい気持ちになりがちでした。私はトラブルや面倒なことに遭うと、立ち向かうのが嫌で、逃げたり、常人の心をもってすべての問題を解決しようとしました。仕事をやるにしても心が入らず、周りの人々を失望させることもありました。

 ここ二年間、私は他の地域で路頭に迷う生活を終えて故郷に戻ってみると、回りのすべての学習者たちは安定して順序よく、洪法活動と真相説明及び「三退」活動を行っていました。これらの状況を見て私は、私が自分の周りのすべてを円融することができなかったことによって法を実証することに影響をもたらしたのだと痛感しました。これからは自分の生活に責任を持ち、心から落ち着いて各方面においてよく行ない、正々堂々と大法を実証したいと心に決めました。

 すると、ある人の紹介ですぐに仕事を見つけることができました。以前やっていた仕事と比べると、仕事の環境にしても、待遇にしても良くありませんでしたが、私は引き受けることにしました。今回こそ私は、今までの教訓を真剣に受け止めて、修煉の中での足りないところを補いながら仕事との関係をうまく対応していかなければなりませんでした。

 一、正念をもって就職活動に臨む

 旧勢力の経済封鎖により、たくさんの法輪功学習者は厳しい生活を余儀なくされました。そして、就職活動にもたくさんの邪魔が入り込みました。これは、法理に対して正しく認識することができておらず、もしくは「お金を稼いだら大法に使い、真相説明に使う」などの口実を作って、自分自身の執着を覆い隠そうとしているところに原因があると、私は感じました。

 実は、師父は「『大きな商売をしたい、大きな商売をしたら大金を儲けることができる』、あなたの思いはそこまでにすれば良いのです。(皆笑って) 大法の事を乗っける必要はありません。後の一文はどうも無理矢理にくっつけたように思います。(皆笑って) なぜならば、大法弟子としてあなたは大金を儲けることができると私は皆さんに教えました。この仕事あの仕事をしても良いのです。何の問題もありません。ただし、あなたは何をしても自分の良心に申し分がないようにしなければならず、いい人でなければなりません」と、説かれました。(『2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説』)

 法の中には、とっくに一切の知恵と生存条件を備えていて、私たちが如何にして実行するかが問題であると、私は理解できるようになりました。旧勢力の迫害を師父は全面的に否定し、私たちも認めません。大法弟子を採用する会社にとって、つまり、それはその会社の福なのです。なぜなら、私たちは『如意を帯著して真理来る」(『洪吟(二)』「如来」)大法弟子なのです。この方面において私はそれほどたくさんの常人の観念を持っていないと自分に自信がありました。ですから、路頭に迷う生活を余儀なくされた時でも、場所を移す度にすぐに人材市場へ仕事を探しにいきました。社長補佐や部門責任者、しかも社長らも私が法輪功学習者であることを知りながら、みな私を保護してたいと表明しました。

 上海のようにたくさんの邪悪が集まっているところも同じでした。しかも、ある会長さんなどは、このようなスタッフを雇用するということは、彼らにとって誇りであり、会社を訪問するたくさんの人々に真相説明ができるように自分の事務室を提供したいとまで私に言いました。会社の管理職についている何人かは、ネットへの接続をクリアできるソフトウェアの設置まで私に頼んだのです。

 二、神秘的に仕事をこなす

 以前私は、職場で名誉と利益を誰よりも早く得たいという強い執着をもって取引先と付き合ってきました。いま私は、仕事はただの作業台に過ぎず、縁のある衆生とここで出会い、善を成して怨恨を解決し、同時に、私は彼らを救い済度しなければならないと認識できるようになりました。しかも、これらは私に何かすごい能力があってこそできることではなく、そのすべては師父の順序ある按排に従ってはじめてできることであり、ですから、私はこれらの縁を大事にして仕事をやり遂げ、常人の心をもって取引先に対応してはなりませんでした。

 取引先の中の大勢の人は官庁の役人で、一般の人々にとって、相手はエリート意識の高いとても付き合いにくい存在として扱いがちですが、私は相手から高慢な態度の振る舞いを受けたことはなく、彼らは私にとても友好的で優しかったのです。なぜなら、私は大法の中で修煉してできた善の心をもって、すべての取引先と接していたからです。ある日、私は仕事で税務局の事務主任を訪ねましたが、どの部屋なのかすぐに見つからず、立派そうに見える部屋に入って行って、中にいたある年配の方と1、2時間ほど話をしました。出て来てから私はやっと、彼が局長であったことに気付きました。私が担当した仕事はとても速く解決されました。

 数日前、私はタクシーで取引先を訪ねました。ちょうど雨が降り出したので、正門の前に着いてタクシーに乗ったまま中に入ろうとしましたが、原則としてタクシーは中に入ることができないと言われました。しかたなく、雨に濡れながら遠く離れている訪問予定の事務室まで歩いて行きました。仕事が終わって帰るとき、先方は車で私を送ると言いましたが、私は相手に迷惑をかけまいと思って、相手の方が電話の対応をしている際にこっそりと抜け出しました。しかし、彼はすぐに後を追い掛けてきて私を送ってくれました。私はとても感動しました。

 私の取引先の方々は、みな私にいつも善意をもって接してくれました。私は、これらは様々な縁によるものだと思いました。正法時期の大法弟子として、正法の期間中、私たちが真の修煉者のように穏やかな心をもって相手と接することができれば、師父は必ず私たちを助けて善の解決をして下さるのです。

 私は結果を求めず、師父のご教示の通りに行い、無条件で法に同化しました。その結果、師父は私に大法の神秘さを現して下さいました。ある日、私は仕事で取引先を訪問しました。私たちの会社は、現地のある会社より4カ月遅れで登記をしていて、その会社は2カ月前に私が訪問している取引先と業務連絡を終えて取引を予定しているというのです(この会社は現地で最も競争が激しい会社であり、わが社が現地で立脚できる基礎でもあり、さもなければ本部を撤回することになりかねませんでした)。

 取引先の社長は私に、「昨夜、ある会社の人と一緒にサウナに入りましたが、相手は契約が成立した時点で4万元バックしてくれるそうですよ。これらの条件をあなたたちは満たすことができないだろうし、おそらくあなたとの契約は無理でしょう」と言いました。「まだ契約が成立したわけではありませんね。それでは、私にはまだ機会があるということです。私にわが社を紹介する時間を10分だけいただけませんか」と私は粘りました。彼は忙しいと言いましたが、私は待ちます、と返事をしました。このようにして私は静かに彼の事務室に座って4日にわたって『転法輪』を読み続けました。

 彼は、確かに忙しくて私なんかにかまう暇もありませんでした。4日目の午後、彼は時間を作って、「私はいままで、あなたのような穏やかな訪問者を見たことがありません。あなたに機会を与えますのであなたたちの会社の状況をよく説明してください」と私に言いました。私の説明がちょうど終わるころ、会長さんが来て私たちの本部が深センにあるという話を聞いて、自分は香港の会社から派遣されているが深センの出身だと話しました。翌日、彼は深センに帰って到る所で私たちの会社の旗を見て、すぐさま私に電話をかけて来て、あなたたちの社長に会わせてくれと求めました。私はすぐに手配してスケジュールを決めました。その結果、休暇から戻ってきた先方の会長さんは、すぐさま私たちと契約を結びました。競争相手の会社は、びっくりして呆然としました。

 もし、大法を修煉していなかったら、私はきっと常人の観念を持って物事を考え、彼らがそこまで深い話までしていたのでは、私なんか入り込む余地がないと諦めたはずでした。大法を修煉したおかげで私は、「人間の目で見たものは皆変わらないものですが、神の目からこの全てを見れば、変わっているのです。」(『2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説』)という法理が分かるようになりました。

 実は、 私の道は師父が按排してくださったのであって、偶然なことが私の身の周りで起きるはずがありませんでした。そのうえ、これは私の仕事であり、私は出来る限り自分の仕事をやり遂げなければなりません。そうしてはじめて奇跡が起きるのです。もし、大法を修煉していなければ、私はこんなにも忍耐強く何日にもわたって彼の事務室に座り続けることができるはずがなく、仮に無理に座り続けたとしても、あんなに平然として相手に温和に接することはできなかったはずです。

 法を得る前に私は社交能力がとても良く、話し振りも上手で、しかも、いつも流行の身なりをして、飲み会などでは常に周りを盛り上げて、相手の機嫌をうまく取るようにしていました。しかし、大きな取り引きが終わった後は、いつも疲れ果てて長期間かけてやっと回復できるという具合でした。法を得てからは、以前のような思考の流れが突然遮断されたかのように、無口になりはじめ、しかも誠実になりました。まるで別人のように変わりました。私は師父がかつて説かれた、一部の人の思惟を封鎖し、彼が頑迷に自己を固持させないようにする、との法理を思い出しました。

 「見返りに相応する仕事」をやっていた以前のような考えはなくなり、大法の修煉によって形成した善の心をもって取引先と接するようになり、それによって商売はかえって、自ずとうまくいくようになりました。私は取引先のたくさんのお客に対して真相を説明しました。彼らの多くはかえって私がしっかりとした思想と真心を持っていて、とても普通の人には見えないと感心しました。私は、自然とお客からの信頼を受けるようになり、以前のように工夫を凝らして相手を引き寄せようと無理な努力をしなくてもよくなりました。

 このような変化に私自身でさえびっくりしました。私は冷静で慎重になり、エネルギーが強く、仕事において気楽に時間の工夫ができて、多くの時間を法の勉強と真相説明に使うようになりました。前は仕事をまじめにやりたくないという極端な思想に走り、井の中の蛙のように狭い常人の心で大法を量ろうとしました。本当に大法に不敬なことをしてしまったと今になってやっと気付きました。実は、仕事の中でも法を悟ることができ、法を実証することができるのです。「静にして思わざれば玄妙を見る可し」(『洪吟』「道中」)。

 現在、私は大法に与えられたまるで空を行く雲や流れる水のように、常に滞りなくすらすらとした仕事ぶりを実感することができます。それによって私は更に大法に深く溶け込むことができました。常人には「4グラムのものが千キロあるものを動かす」ということわざがありますが、以前私はこれをただの形容詞として使っていましたが、いま私は、これは昔の人々が自然の中に溶け込んで達した境地の現れであり、法力の顕現であると認識できました。中国の道家の人は、天と人の調和といった伝統的な思想がありますが、その後、共産党が天と地と戦うという邪説をもってこれらのすべてを破壊し尽くしました。このような毒害を受けた人々は、神と自然から隔離されました。これこそが、中国人の最大の悲哀です。

 大勢の人は、商売のためには手段を選びません。多種多様な営業理念といわゆる技を使い尽くしていますが、見るだけで人々に恐怖を感じさせます。もし、今日私が大法を修煉していなかったら、「道は簡単で易しい」という法理を体験できるはずがなく、「求めずに自ずと得られる」楽しさを実感できなかったはずです。以前私は、仕事が修煉を邪魔していると思っていましたが、これは、つまり法に対して正しい理解がなかったのです。師父は、「私が今日行なおうとし、大法弟子に賦与しようとする修煉方式は宇宙の中に今までなかった更に高い智慧を築き上げるためです。その目的は将来落ちてくる生命がここで再び元に戻れるようにするためであり、少なくともこういう機会を持つようにするためです。これは宇宙が圓容することのできる部分です」(『大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説』)と言われました。

 (続く)

 (第三期大陸大法弟子の修煉体験談書面交流大会の原稿)

 2007年1月30日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/10/29/140976.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/11/14/79901.html