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法輪功学習者・劉成軍さんが吉林監獄で死亡した状況についての補足

(明慧日本)中国吉林省農安県の法輪功学習者・劉成軍さんは、2002年3月5日同修と一緒に長春と松原市でテレビケーブルを利用して大法の真相を伝えた。当局警察に不法に連行されたあと、19年の判決を下され、吉林監獄に入れられ、数々の拷問で苦しめられた。2003年12月26日朝方4時30分頃長春で死亡、享年僅か32歳だった。邪党は罪を隠すために、家族の強い反対を押し切って当日の朝10時40分に劉さんの遺体を火葬してしまった。

 以下は劉成軍さんが当時迫害されてから亡くなるまでの一部の状況である。

 2002年初冬、劉さんは吉林監獄、当時第一グループ(監獄中の区画単位)と呼ばれるグループに送られ、悪警官・陳昕(ちん・きん)が管理するチームの12号の監獄部屋に入れられ迫害された。劉さんが足を引き攣りながら、12号室の窓の前を通る時に、室内にいる何人かの専ら学習者を迫害する受刑者達が嬉しそうに「また体の大きいやつが一人来たぞ、殴りに耐えそうだ」と話しているうちに劉さんは部屋に入ってきた。何人かの悪質な受刑者がすぐ「まだ法輪功をやり続けるのか、法輪功をやめるって保証書を書いてくれるのか?」と聞き始めた。劉さんは書かないと答えた。実はその時に受刑者達はすでに迫害を加える準備を整えていて、劉さんが法輪功を諦めないと答えたらすぐ殴るつもりでいた。

 何人かの鬼のような悪い受刑者が各一人ずつ木の板を持って劉さんを殴り始めた、あまりにも力が入りすぎて、板が折れてしまった。(ベッドのしたに使われている板は厚みが3〜5cmの落葉樹松でできた板なので、非常に硬いものである)。劉さんは殴られてから何日もベッドで寝込んでいた。受刑者達は毎日のように無理やり劉さんをベッドの縁に座らせ、朝方の4時半から夕方の7時半まで、間に何回かトイレに行く時間と食事の10分間以外の時間はすべてこのように座らせて迫害した。吉林監獄で迫害を受けた学習者達は小号と厳管隊(最もきつく拷問に使われる特別な監獄部屋とチームのこと)に迫害されなければ、このような形で迫害されている、しかも、常にこのような悪質な受刑者に殴られ、電気棒で電撃された。

 劉さんはこのような邪悪な迫害に抵抗し、悪質な警察官達の要求に従わず、何度も断食して抗議した。2003年11月に10日間に亘り断食して、危うく命がなくなるところで監獄に指定された病院に救急され、10数日の治療によってやっと命が危険な状態から脱し、また監獄に送り返されてしまった。それでも、監獄の悪い警察達は劉さんを治療するために監獄内の病院に送らずに直接小号に閉じ込め、一層酷く迫害を加え続けた。

 警察は何日か後に同じ小号にいた受刑者から「あの法輪功(学習者)の劉成軍さんがもうすでに小号で死んでいる」ということを知って、やっと劉さんの遺体が出された。監獄側は劉さんを迫害し殺したという犯罪事実を隠すために対外的には劉さんを救急する時に、監獄外の病院で亡くなったと言った。

 2007年2月13日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/2/6/148413.html