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チチハル市:法輪功学習者・徐宏梅さん一家の遭遇(写真)

(明慧日本)黒竜江省チチハル市の法輪功学習者・徐宏梅さんは2007年1月13日に青雲街派出所に連行された。邪悪な警官は彼女を酷く殴り、何回も背中で両手に手錠を嵌めた後、吊るしあげた。その結果、臓器に傷を負った。現在、徐宏梅さんはすでに断食で不法な監禁に抗議して31日になる。彼女は病床で足枷をかけられ、迫害によりすでに歩けなくなっていて、咳をすると血が出、血圧は40まで下がり、食事ができず、痩せて骨と皮しかなく、気息奄々としている。

法輪功学習者・徐宏梅さん
徐さんの娘・恬恬
現在泰来刑務所に監禁されている徐さんの夫・孫維民さん

 徐宏梅さんの家族は何回も龍沙公安支局と青雲街派出所に行き、罪のない親族を無罪釈放するように強烈に要求したが、青雲街派出所の所長・宮延輝はいろんな口実で避けたり、遅らせたり、わざと人を困らせたりして、人の生死を無視して決して釈放しなかった。

 徐宏梅さんは1971年の生まれで、1995年から法輪功を修煉し始めた。夫の孫維民さんとはチチハル市第二機械工場の煉功点で知り合い、幸せな家庭を作り、1999年には娘の恬恬が生まれた。中共が1999年に法輪功を迫害し始めて以来、災難はこの幸せな家庭に訪れた。

 徐宏梅さんはかつて5回不法に連行され、軟禁、労働教養され、路頭に迷ったことがある。孫維民さんもかつて仕方なく路頭に迷ったことがあり、2001年に夏には不幸にも連行され、龍沙裁判所で13年の重刑を言い渡され、現在も泰来刑務所に監禁されている。

 1999年11月の初め、ただ徐宏梅さんと孫維民さん夫婦が真善忍に従って、良い人になることを堅持したため、家族全員はギヤ工場の廃棄された寄宿舎に監禁された。すでに結氷した寒い北方で、廃棄された空き部屋には暖房設備がなく、わずか1歳の恬恬は常におびえて大いに泣いた。徐宏梅さんが法輪功修煉を放棄しなかったため、龍沙区政保科課長の王晨は龍沙郷派出所の劉所長と共に、彼女を不法に留置場に監禁し、12月末に釈放後、また龍沙区老人マンション内に設置した、強制的に洗脳を行ういわゆる「学習クラス」に送り、拷問による虐待で、彼女に修煉を放棄させようとした。

 2000年6月に徐宏梅さんは沈子力さんなどの法輪功学習者と共に北京へ行き、法にかなっている陳情を行ったが、龍沙郷派出所の劉所長に不法に連行された。龍沙郷派出所に監禁された時、龍沙公安支局の政保科課長の王晨に拷問で迫害され、その後チチハル留置場へ移送され、また1年間労働教養された。2000年7月にはチチハル労働教養所へ送られた。

 チチハル労働教養所で、徐宏梅さんは邪悪な警官・王梅、王岩に小号に入れられ、両手を背中で手錠を嵌めた後、吊るしあげるなどの迫害を受けた。期限を超過して拘禁された時、一回会議中、立ち上がり、うそを止めようとしたため、徐宏梅さんと沈子力さんなどの法輪功学習者は労働教養所により留置場へ送られた。労働教養所は刑罰を下そうと企んだが、期限を超過して拘禁する期間中だったため、刑罰を下すことができなかった。3カ月後労働教養所に戻され、6カ月間刑を延ばされて、やっと釈放された。

 2002年4月21日に、龍沙郷派出所の劉所長は邪悪なやからを連れて徐宏梅さんの家を訪れ、子供を抱いていた徐宏梅さんを無理やり龍沙郷派出所へつれて行った。また当日に留置場へ送って、不法に3年の労働教養を言い渡した。

 徐宏梅さんはチチハル労働教養所でいろんな拷問で虐待され、両足は歩けなくなり、3年間親族に会えなかった。迫害されてきわめて苦しい中、彼女は異物を呑み込んだ。しかし労働教養所は家族に告知せず、密かに彼女をチチハル農場局医院に送って手術を行い、また不法に半年の刑を追加した。

 2007年2月16日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/2/15/149099.html