日本明慧
■印刷版   

師父への敬意についての交流


 文/黒龍江省の大法弟子 李慧

(明慧日本)ある年配の修煉者の乙さんは、体に病業が現れていたので、同修は乙さんを助けるため、乙さんの家で学法チームを発足し、毎日集団で学法し、同時に乙さんのために正念を発し、ともに執着を探していたが、乙さんの体の状況にあまり大きな改善はなかった。もう一人の年配の同修の甲さんは、師父を敬うことに関して書かれた交流文を読んでから、皆で交流するときに、自分たちが本当に常に師父を尊敬しているのかどうかについて探してみた。その後、修煉における心構えが変化すると同時に、同修にも大きな変化が見られるようになった。

 同修の乙さんは、普段から法輪功の書籍を持ち出しやすいように、すべての大法の書籍を大きな紙袋の中に入れてベッドの上に置いている。その後乙さんも大法の書籍をベッドの上に置くのは不適切であると認識できるようになり、そして乙さんの認識が変化するにつれて、長い間改善が見られなかった病業の症状も知らぬ間に消えた。なぜなら、旧勢力はもはやこれ以上、乙さんの師父を尊敬しないという理由で乙さんを迫害することができなくなったからだ。

 交流の中で、学法チームの同修たちは、普段からあまり気づかれない師父に対するたくさんの不敬な行為に気づくようになった。例えば、法輪功の書籍を読む前に手を洗わなければならないし、書籍を持つときはできるだけ活字部分に触れないようにすべきである。しおりを変な所に置かない。学法するときの姿勢も正し、書籍自体も適切な場所に置くべきである。師父の法像もきれいな場所に置くべきで、師父に焼香をするときも礼儀正しくしなければならない。

 同修の甲さんは、私に以上のようなことを話し、そしてずっと病業が治らない同修にも、このような部分に漏れがないかどうか確認するようにと言った。師父は、すべての大法弟子を見守ってくださるが、もし大法弟子が師父を敬うことができなければ旧勢力もこのような大法弟子を迫害しやすくなる。

 同修の甲さんは、普段から私とあまり連絡をしていない。このような文章を書くと聞いたとき、自分自身にも向上すべきところがあるから、このように言われたのだと悟った。私は普段から自分は修煉において精進し、よく内に向かって探し、大きな漏れはないと思っていたが、同修の師父を尊敬する誠意は私を震撼させ、私も自分自身のあまり気に留めていないよくない行為における問題点が見えるようになった。私も本当に師父を尊敬できていないのである。師父は、自分を尊敬しない大法弟子をも見守るのは、師父の寛容さであり、一大法弟子が師父に対してこのように行うことを認めることはできない。師父は永遠に師父であり、永遠に尊敬すべき偉大な存在である。内心にせよ、形式的にせよ、師父を尊敬しなければならないのだ。この件を通して、自分の師父に対する尊敬の念を強化することができたと思う。

 ここにおいて、すべての同修たちに自分は本当に師父を尊敬しているのか、言動がその大法弟子という名にふさわしいかどうかをもう一度見直すよう呼びかける。

 2007年2月19日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/2/3/148177.html