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不足をわきまえた上、最後の修煉の道をしっかり歩もう

(明慧日本)私は1996年から修練し始めた。かつて煉功場で責任者を担当した経験もあったため、迫害が始まってから私は会社の中で「警戒人物」となり、二度も公安局に拘禁された。修煉の道は決して平坦なものではなく、怠惰による教訓も深刻なものであった。

 修煉前、私はいろいろな病気を患っていたが、最終的に大法が私を救ってくださり、私も健康を取り戻すことができた。

 2002年秋から第一回目の病業の関が始まった。症状として咳が止まらず、横に倒れることができず、夜は眠れず、一ヶ月も経たないうちに大変痩せ、その後も何度も病気の繰り返しがあった。その後2006年8月の初めにまた大きな病業が現れ、最初はただ風邪の症状でしかなかったが、その後続けて咳、眩暈、動悸が続き、不安になり、当日の午後になれば眩暈が強くなり、汗だくで、小便失禁するようになった。その後、私は気絶した。その場にいた妻と叔母は直ちに私のために正念を発して、師父に助けを求めたことで、私はなんとか目を覚ますことができるようになり、その後は自宅で六日間の休養を余儀なくされた。

 修煉が今日まで至って、私の体にはどうしていまだにこれほど大きな問題があるのだろうか? しっかり法を学ぶことで、私は修煉における不足に気づくことができた。師父は「2006年カナダ説法」の中で、次のようにおっしゃっていた。「便利と言うなら、人間は出家せずに修煉でき、山奥に行く必要もなく、世俗から離れる必要がなくなりましたが、もう一面から言えば、このすべてによって、別の困難がもたらされました。つまり、すべてのことをしっかり行わなければならず、いかなることもしっかり行ってはじめて、抜け出すことができるのです。」「しかし、『家庭のことをしっかりすれば、つまり修煉することになる。それなら、親や兄弟との関係をさらに親密にすればいい』と思う人がいます。あなたはまた、新しい執着に入り、極端に走ったのです。すべてのことをしっかりやらなければなりませんが、やりすぎてはいけません。やりすぎると、また執着になります。しかも、大法に対する態度を正しく取らなければならず、本当に自分を修煉者として見なし、どのように精進すべきなのか、どのように法に対処し、修煉すべきなのか、本を読む時間の長さも含めて、軽視してはなりません。むしろ、もっと重要なのです。なぜなら、これはすなわち、皆さんの道であり、皆さんが歩むべき道だからです。皆さんはほかでもなく、常人社会から抜け出し、法を正すことと同時に存在し、衆生に対して責任を持たなければならないので、このように修煉しているのです。」

 師父はその説法の中で私の不足について触れていた。表面から見て私は周りの人々に良い人といわれ、何かあると皆が私に頼りたがる。そのため私は一日中大変忙しくなり、三つのこともやってはいるが、実は真に落ち着いて自分自身を修めていなくて、常人の中の仕事を重視しすぎたのである。また同修が私の不足について指摘してからも、聞き入れることができず、常人の中ではこのように修煉することで初めて円容できると勝手に思い込んでいた。その結果として常人の仕事のため学法や煉功の時間が取れなくなり、真相を伝える時間もなくなった。その後名利心、嫉妬心、闘争心、常人の中の情も強くなった。口を修めることに関してよく問題を起こすようになり、煉功して十数年たってやっと結跏趺坐できるようになったが、非常に痛かったので数日間しか保てなかった。修煉における向上は一歩上がるのは大変難しいが、ちょっと気を緩めると直ちに下に下落するものだ。

 修煉は極めて厳粛であり、遊びではない。師父は弟子を見捨てることができない。重要なのは自分が自分自身を本当の修煉者として見ることができるかにある。私は長い間ずっとまじめに修煉しなかったにも関わらず、師父は私を放棄しなかった。なんとかして私に啓示を与え、私を済度しようとしていた。私が病業のため気絶したとき、妻が目を閉じて発正念していたとき、師父の法身が私の周りを囲んでいるのを見た。そして妻は親族たちに「大丈夫、師父が助けてくださる」といった。私が意識を取り戻してから、この話を耳にしたとき涙が止まらなかった。師父の慈悲に感動して胸がいっぱいであった。

 冷静になって自分を考えてみれば、本当に深い教訓で、師父と自分の世界の衆生に申し訳ないと感じた。私は必ずしっかり行うようにして、今後の修煉の道をさらに精進して歩むように努力する。

 2007年2月24日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/2/20/149354.html