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河北科技大学の李恵雲博士は迫害されて精神病になった

(明慧日本)原河北科技大学教師の李恵雲博士は中共に迫害され、精神異常の状態のまま2年が過ぎた。

 李恵雲さん(43歳女性)は、元は河北科技大学教師であった。2000年2月天津大学の機械製造自動化専門博士研究生として卒業した。1996年天津大学の勉強期間に法を得て、法輪功を修煉し、ご主人の洪水さんと7歳の息子も前後して法を得た。

 李さんの夫・宋洪水さんは44歳、河北科技大学の幹部です。彼らを知っている全ての人で彼らを褒めない人はいない。息子はいま高校に通学している。

 中共からの法輪功と法輪功学習者への迫害が7年続いている中、李恵雲博士は2回洗脳班に連行され、精神が異常になった状態で、不法に2年の労働教養をされ、河北科技大学を除名され、いま家で病気になっている。

 2001年10月24日、李さんは河北科技大学および革新町派出所に不法に連行され、強制的に「省会法制教育センター」に連行されて迫害され、彼女の夫・宋洪水さんも同時に同所に監禁され、9歳の子供は故郷に送られた。革新町派出所は不法に家を捜査した後に、家の鍵を取り上げ、宋さんが家に帰らないと返さなかった。家にある全ての物はめちゃくちゃに乱された。

 2004年2月24日午前8時ぐらいに、河北科技大学機械電子工程学院の党委書記の張立忠は李恵雲さんに電話し、オフィスに呼び、その時に、革新町派出所と一緒に李恵雲さんを連行した「省会法制教育センター」に拘禁され、彼女の夫・宋洪水さんも同時に仕事現場から「省会法制教育センター」に拘禁され、彼らの子供は再度故郷に送られた。仕事用のパソコン等の物品を不法に没収された。彼らは宋さんが二回目に洗脳班に連行されてから全ての給料を停められた。今でも各種の理由で仕事に戻れない。2006年9月から「最低生活費用」だけを支給された。

 2004年3月、李恵雲さんは省洗脳班に迫害され、精神分裂症になった。河北科技大学の上司は責任を回避するために、躊躇せず、井に落ちる人に石を投げるように、洗脳班及び革新町派出所と一緒に李恵雲さんを不法に拘禁した。5カ月監禁されている期間、精神異常になっている場合でも、不法に2年の労働教養という実刑判決に処せられ、洗脳班から石家庄の労働教養所に直接に送られた。2004年8月12日、李恵雲さんは労働教養所にいる期間はあまり長くないが、秘密裏に河北医科大学第一付属病院の精神衛生科へ拘禁された。河北科技大学は間もなく2004年12月1日に彼女を不法に除名にした。

 2004年2月24日午前、李恵雲さんは強制的に「省会法制教育センター」へ連行された当日、ユダの李海生は彼女の手をタバコで4カ所焼き、彼女をベッドから地面に落とした。長期間眠れず、日夜しばられ、暴力で打たれ、トイレも行かせないなど、人格を侮辱されて李恵雲さんの思惟は酷く乱され、1カ月後、「精神分裂症」になった。彼女の精神が残酷に迫害された5カ月後、革新町派出所の劉亜章は事前に準備した記録を持って、彼女にサインさせた。その時迫害された李恵雲さんの精神は崩れていたが、偽物のサインは証拠とされ、彼女は不法に労働教養された。

 2004年8月12日、李恵雲さんは強制的に石家庄労働教養所の第五チームに連れていかれた。8月19日午後、労働教養所と学院主管上司は彼女を河北医科大学第一付属病院の精神衛生科へいれ、医師は「精神分裂症」と判断した。2004年10月19日、李恵雲さんの主治医の何林先生はすでに河北科技大学が彼女を迎えにくれば、すぐ出院させるという通知書を作成していたのに、翌日、河北科技大学の張立忠は意外にも彼女を労働教養所に送った。2005年9月李恵雲さんは再度労働教養所から同じ病院に送られ迫害を受けた。河北医科大学第一付属病院の精神衛生科での迫害期間に、李恵雲さんは不明な薬を注射され大脳が無感覚になり、体は弱くなり、一日に2回意識がなくなった。病院では、親族に知らせないようにして、家の人は見舞いを禁止され、彼女の70歳のお婆ちゃんは第五チームのリーダー・邸曼麗にひざまずいて、やっと娘への見舞いを許された。

 このようにしても労働教養所はまだ彼女を見逃さなかった。李恵雲さんは多数の邪悟者に、いろんな形で打たれ、地面に押され、一人が足を彼女の胸に跪いて、もう片方の足は頸に押さえて、息ができなくなったり、彼女の両手はまたベッドの上で手錠をはめられた。その後、彼女は意見を書いて、上に陳情したので、副リーダーに仕返しをされた。彼女が迷惑をかければ、また仕返しをすると言った。そして、彼女を不法に1カ月監禁した。監禁期間に、彼女はずっと薬物の服用を強制されたので、反応は鈍くなり、顔面の表情はにぶくなり、「老年で間が抜けている」ようになった。薬物の迫害は物をぼんやりさせて、耳が遠くなるなどするので、彼女は精神が恐れ惑う中で何度か自殺を考えた。

 長期間に洗脳班、労働教養所、精神病病院などで、気がふさがれ、恐怖、緊張及び洗脳の迫害を強要され、李恵雲さんの精神状況はずっと回復しなかった。2006年2月26日家に帰って、夫婦は一緒に学校の現任上司に相談して、国の2001年司法部など五部委の文献に従って、彼女を除名することを取り消し、仕事をさせるように要求した。夫婦はまた省教育庁の関係ある上司に相談し、元の派出所と分局を見つけて、文書を手渡した。しかしいかなる進展もなく苦悩と憤懣を感じたため持病が起きた。

 宋洪水さんは情報の学院で正式な職員だが、然し学校は2年過ぎて、「煉功しない」、「法輪功を宣伝しない」ことを保証していないという理由をつけ、仕事に復帰できなかった。

 2007年4月11日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/1/8/146404.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/1/16/81750.html