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私は大法から知恵を頂きました


 文/ニュージャーシーの大法弟子

(明慧日本)今年は私が大法修煉を始めてから10年目になる年です。私は自らの過去5年間の修煉をまとめて、2つに分けて師父、及び同修に報告したいと思います。

 一、屋外の煉功を10年間堅持し、生命双修で心を修めて体を煉えた

 師父が私達に伝えられた功法は万年にも得難い生命双修の功法で、「修めることも、煉ること」も求めています。私は真相を伝えることと仕事の量が増えるにつれて、楽をしたい考えが時々浮かんできて、煉功時間を守るのが難しくなりました。最近は少くない同修者の体に病業の状態が現れて、老けてくるか、甚だしきに至っては亡くなる方もいて、私はそれに対して気付くことが出来ました。法理に従えば、修と煉は分けることの出来ない一体のもので、修煉を根気よく続けなければ、円満成就することは出来ません。10年間屋外での煉功を続ける中て、私は修の中に煉があり、煉のなかに修があることに気付きました。それはみごとに素晴らしいことです。

 ニュージャーシーとニューヨークに住んでいる同修は皆こちらの冬は非常に寒いことを知っています、身を刺すような寒風の中で手袋も帽子もかぶらずに、第二式を30分間続けることは容易ではありません。ただの30分、1時間、2時間だけの屋外での煉功ではなく、毎日堅持することはとても苦しいのです。特に寒い季節が来て、朝早くから寒い中で煉功する時は両手が凍って感覚がなくなり、身を刺すような激しい寒風に涙も凍って白くなり、全身の体温が下がるだけでなく、音楽を流す「ミニコンポ」さえ凍って音が出なくなります。その時は目の前にある家に入って、暖かい室内での煉功も可能ですが、私は室内の煉功を選ばず、屋外の煉功を続けました。それは体を煉るだけではなく、心性をも修めているのだと思っているからです。一挙両得で、進んでするのです。

 10年間、私はほぼ毎朝屋外での1時間の煉功を堅持しました。夜は寝る前に室内で静功をしました。特別な事情がない限りずっと続けました。時には自らの修煉状態がよくなく、或いは正念が足りず、知らずに煉功時間を短くすると、体が常人に戻るような気がしました。その時、私は追いかけて、漏れた時間を補いました。煉功に取り組む姿勢は心性の修煉を反映していると思っていたからです。

 屋外の煉功を続けるとよく通行人と近所の人に洪法するチャンスが出来るので、10年の間に少なくない人に功法を伝えて大法と縁を結び、縁がある人は修煉の道を歩むようになりました。明け方の空気は新鮮で、和やかな自然環境のなかで、緩やかに流れる煉功の音楽は自分の家が近づいてくる感じがしました。

 私は自分の情況にあわせて、真相説明を行うと同時に、学法を続けました。一つ目は法を暗記することで、繰り返して暗記する過程で法の内函を深めました。二つ目は毎日の雑多な時間を利用することで、食事をする時も、道を歩く時も、休む時も、時間が多ければ多く、時間が少なければ少なく法を暗記しました。法を実証するときも、時間があれば法を暗記しました。例えばマンハッタンでの真相説明のときも、私はトラックを運転しながら法を暗記しました。煉功も時間がある時は多く、少ない時は短く煉功して、空くときはありませんでした。

 10年間の屋外での煉功を堅持する中で、私は自らの心性に対して厳しく律するようになりました。着実に修煉する中で、体は絶えず浄化されて、病業に邪魔されることもなく、体の各検査の数字、例えば血圧、心拍、コレステロール、体重は若いスポーツ選手を上回るようになり、不思議な能力も現れてきました。例えば渇きに耐える、悪い気候に耐える、苦労に耐える能力が出てきました。これらの能力は大法弟子の中で普遍的に存在する現象であり、生命双修の功法から来ています。修と煉のどちらも片手落ちしてはいけません。

 個人の煉功以外に、私はまた火曜日の学法前の集団煉功に参加しています。私達は学法の前に1時間の煉功をすっと続けています。全ての同修は集団煉功と学法は欠かせないと思っています。皆さんは穏やかな煉功を終えて出定してから、順番に『転法輪』を朗読します。皆さんは感想を分かち合っており、全ての大法弟子は大法と不思議な縁を結んで、皆が不思議な体験を経験して、お互いに心が通じ合っています。集団煉功と学法は新しい学習者と古い学習者が共に修煉できる機会を提供しており、皆さんが忙しくて、煉功が出来ない情況を、最も良く解決しています。

 二、コミュニティ大学の中国語の授業は、神の文化を縁のある人に伝えている

 偶然の機会から私はコミュニティ大学の成人教育部で中国語を教えるセカンド・ビジネスをしています。学生達は皆社会の各階層から来ており、中国の文化に対して特殊な興味を持っており、アメリカ人がほとんどです。

 しかし、私は一度も中国語を教えた経験がなく、初めて大学の教壇に立ちました。私は大法から与えられた知恵を使って、神の文化を伝えて、全ての学生の心に真善忍の種を植え付けました。

 教材

 中国語を教えるにはまず教材の準備からです。私は学生の状況に合わせて、中国の文化を正統的に認識出来る教材を選びました。それ以外、皆は本当の中国の伝統文化を理解させるため、古文を補助教材として選びました。毎回の授業で古文を少しずつ教えて、学生達に礼儀を重んじ、伝統的な道徳規範を伝えました。それから中国共産党がどのように何代もの人々から自分たちの伝統文化を継承する権利を剥奪して、多くの近代の中国人に自分の祖先を忘れてしまうようにさせ、党の文化に騙されて、ぼんやりした生き方をしているかを知らせました。学生達は奥深い中国の伝統文化に関心を持ち、更に中国共産党の党文化の詐欺性を認識できるようになりました。当然疑問も生じて、ある学生は授業中に「今の世界に本当の中国の伝統文化の主が存在するのか」と質問しました。 

 この問題は人々が千万年探求しても答えられないことで、その真相は既に目の前にあるのです。

 中国の伝統文化

  中国語を教えるには中国の伝統文化から離れることができないのです。採用する教材は簡略字とピンインなので初心者は入門しやすいのです。しかし教えるものは初級レベルに止まらず、漢字の奥深い学問にも触れて、みんなに簡体字の変異性を知らせ、所謂文字の改革が中国の文化にもたらした影響を理解させました。新唐人は中国の伝統文化を系統的に紹介するので、中国語を教えるにはよい教材を提供してくれます。ことわざを教える時に「八人の仙人は海を渡る」「鉄棒を磨いて針を作る」「精忠報国」、「善悪には報いがある」などの伝説を教えて、学生に中国の歴史上の英雄人物を理解させて、中国の伝統文化に興味を持つようにしました。

 新唐人の新年祝賀祭の公演は自然に話題になり、学生達は公演の日が来るのを待っていました。今年の2月、学校の他の中国語クラスの学生達と一緒に、50人以上の学生と教師は期待を抱いて劇場に行き、数万人の観衆と一緒に神韵芸術団の素晴らしい公演を鑑賞する貴重な機会に恵まれ、本当の中国の伝統文化の主を探し当てました。

 私は中国語を教えると同時に、中国の伝統文化は神から伝えられてきたことを理解させて、学生達に中国共産党の邪悪な本質を知らせました。私は教授経験があまりありませんが、大法から与えられた知恵により、多くの縁がある人々が神から伝えられてきた文化に接する機会を作って縁を結ぶようにしました。

 先生、有難う御座いました。皆さん有難う御座いました。 

 (2007年のニューヨーク法会での発言原稿)

 2007年4月14日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/4/12/152648.html