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交通事故に遭い「法輪大法好」を叫んで危険状態から脱出、逆に警察に連行された

(明慧日本)大連市の法輪功学習者・金信年さんは運転中交通事故に遭ったが、「法輪大法好」と叫んだため危険状態から抜け出した。交通警察は調査する時警官にこのことに言及した。結局、大連市開発区黄海派出所に連行されて迫害された。

 金信年さんは40歳、現在、大連市福沃得船舶サービス有限会社に勤務し、私営企業の職務は生産マネージャーである。

 2006年12月21日明け方の3時半〜4時頃、金信年さんは大連湾で船を修理して終えて運転して帰った。その日は霧が多くて路面が結氷しており滑った。大体、大孤山西里一帯の辺りで、90度の曲がり角でハンドルがきかないため、7、8メートルの深さがある臭い水たまり(工業の排水たまり)で滑った。水はおよそ人の背丈ほど深さがあって、車には4、5人の船を修理する従業員が座っていた。落下した後、タイヤ2輪は破裂した。車中の人(運転手の金信年さん含め)全て穴の中でひっくり返った。2人は負傷し、その中1人は気絶した。この危難の時、法輪功学習者・金信年さんは師父と大法を思い出して、全員一緒に「法輪大法好」「法輪大法好」と叫んだ。

 叫び声に従って、変形した車のドアが開いた。金さんは出て来た後、全ての従業員を引っ張り出した。その後、まだ1人が出て来てないことに気付いた。また戻ってもう1人を救って、最後の1人を救い出した時、彼はすでに息をひき取ったことを発見した。金信年さんは思った。彼が死んだら、工場はどうする? 彼の父母はどうする? 昔の金さんは師父を求めることが恥かしくてできなかったが、あの時彼はこれらを考える余裕もなく、大きい声で師父の救助を求めた。叫ぶことで瞬時に奇跡が現れた。彼は息が戻り、それから何人かの従業員に担ぎ上げられて、病院に送られた。

 交通警察は事件を処理する時に聞いた。あなた達の車はあれほどひどく変形したのに、どのようにして開けたか? 金さんは警察に「法輪大法好」と叫んでドアが開いたといった。このことで交通警察が金さんを告発した。開発区黄海路派出所は2007年3月30日午前9時過ぎ、案件を終結するため、船舶会社の金信年さんと何人かの従業員を一緒に派出所まで連行し、金さんの身につけていたMP3ウォークマンを没収した。そして当日午後、開発区の留置場(大黒山の近く)に送った。この前、つまり3月25日〜26日の間、大連市「610」と大連瓦房店市駝山郷の悪警は一緒に金さんの故郷に行った。目的は迫害のために理由を探すことであった。そして、金さんの妻・劉作娜さんの所在地に電話して、迫害の理由を探した。

 その他に、3月30日午後、開発区黄海路派出所はすでに金さんの仕事現場に捜査に行った。何も得ることがなくて、3月31日に、工場の従業員は一緒に開発区黄海路派出所に行って供述を記録される予定である。

 2007年4月18日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/4/3/152044.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/4/12/84483.html