日本明慧
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本当に自分が法を学んでいる

—— 師父の「オーストラリア法会へ」を読んで


文/上海の大法弟子

(明慧日本)師父は『オーストラリア法会へ』の経文の中で、「法の勉強は形式的なものになってはならず、念を集中させて勉強し、本当に自分が勉強していなければならない」と説かれました。この数年、私の法の勉強はどうなっているのでしょうか? 仕事が忙しくなると、数日も法の勉強を忘れたりします。時々、「あら、この頃また法の勉強をしていない。だから、雑念が多くて、怒りっぽくなっている」と思い出し、法を勉強しないといけないと思いますが、本が手元にないので、師父の経文を数段落暗唱し、または『論語』を暗唱します。実はこれはその場しのぎのものに過ぎず、法の勉強を常人が病気をした時の抗生物質としてしまい、危なくなったら一粒飲むくらいのものになってしまいました。

 師父は説法のとき、ほぼ毎回法の勉強の重要性について説かれました。しかし、私は悟性が悪くて、どうしても重視できません。2001年5月、県の公安局は鎮の派出所とともに、自宅に押しかけて、大法の本を押収し、私を派出所まで連行しました。この迫害を受けた最大の原因はそのとき、私の修煉がいい加減なものになってしまっていたからです。長い間本も読んでいません。他の空間の邪悪はこれがはっきり見え、「この人はあまり法を勉強していないので、本があっても意味はない。押収しよう」と思い、悪人を指図して本を押収したのです。この教訓があったにもかかわらず、この数年、私はまだ悟ろうとしません。師父が今回、「この面の教訓はあまりに多かったのです」とおっしゃったから、「本当の大法弟子になりたければ、必ず法を勉強し、しかも本当に法を良く勉強しなければならない」とやっと悟りました。「法は基礎であり、大法弟子の根本であり、すべての保障であり、人が神へ向かうための道である」(『オーストラリア法会へ』) からです。

 本を読む、本を朗読する、本を書き写す、本を暗記するなどの勉強方法があります。本を読む時、師父の法を手にしていますが、読んでいるうちに、頭の中で他の事を考え始めます。またしばらく頭が静かですが、しばらくすると、また雑多な念が頭の中に浮かんできます。時に眠くなる時さえあります。

 今、これを解決する方法があります。つまり、法を勉強する前にまず自分をきれいにします。考えの中の法に合致しない雑念、他の空間の妨害を発正念のように根絶してから、法を勉強するのです。このような心が静かになった状態で勉強しているので、効果は良くなったのです。

 また、法を暗記することですが、師父は『転法輪』の中で、「人が佛の名前を念ずる時、心には何も雑念がなく、大脳のその他の部分が全部麻痺して、何もかも分からなくなるまで、一心不乱に念じなければならず、そうすれば一念が万念に代わるので、『阿弥陀佛』の一文字一文字が目の前に現われてきます」とおっしゃいました。私たちは本や経文または師父の法を暗記するとき、すべての字が目の前に浮かんでくるでしょうか? 暗記しているうちに、頭のある念は暗記していますが、もう一つの念は他の事を考えているようです。しかも、他のことを考えるその念ははっきりしています。この時、自分自身が法を勉強していません。今、このことを解決する方法を見つけました。つまり、法を暗記する時、できるだけ法の一文字一文字を頭の中に現し、少しでもあやふやになったら、暗記を中止し、考えをはっきりさせてから、もう一回暗記する方法を取っています。このように始めて、徐々に師父がおっしゃった「本当に自分が法を勉強している」という状態になるのです。

 以上は個人の悟りで、ご叱責願います。

 2007年4月19日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/4/18/152967.html