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9歳の西洋人小弟子の修煉体験


 文/オーストリア大法小弟子 Sarah Schrott

(明慧日本)私はサラ(Sarah)と言います。今年9歳で、小学校3年生です。私とパパ、ママ、そして10カ月になる妹ビクトリア(Viktoria)はウィーン付近の小さい町に住んでいます。1999年、私がまだ1歳のときにパパとママは法輪功に出会いました。

 それから両親は法輪功を修煉し始めました。私の最初の記憶では、法輪功はずっと私たちの家庭生活の一つの部分でした。パパとママの話によると、私は13カ月の時に、初めてドイツのオーデンヴァルト(Odenwald)で開かれた法輪功学習者の交流会に参加したそうです。私たちは当時の写真も一枚もっています。写真の中で、パパとママは『転法輪』を読んでいて、私は何かを持って遊んでいました。私が1歳半のとき、私は両親と一緒にパリで行われた交流会に参加しました。それは私が参加した1回目の国際交流会でした。いままで私はすでに両親と一緒に多くの交流会と大法を実証する活動に参加しました。

 私が3歳のころ、私たちはドイツに行き、法輪功学習者の集会に参加しました。その時、私は足を組んで、塀の上に坐って、結印をしていたことを覚えています。私がもうちょっと大きくなったとき、幼稚園で同じ組の先生と小さい友達に5式の動作を披露しました。これは私が最も嬉しく思い出すことです。ママはとても早い時期から私に『転法輪』を朗読してくれ、私は本の中の内容を理解しようとしました。私は小学校1年生のとき、一人で『転法輪』を読み始めました。現在私は一人で読んだりパパと一緒に読んだりしています。授業が夜にあるとき、或いは時間があるとき、私たちはウィーンの学法グループに参加することもあります。ただ多くの場合、私はママと一緒に『転法輪』を読んでいます。

 中国大使館前でのろうそく追悼

 ある夜、私はパパと一緒に中国大使館へ行きました。そこで私たちは正念を発しました。その後、私は一人で通りの向こうでチラシを配りました。一人のおばあさんが見えましたので、彼女に一枚のチラシを渡しました。おばあさんは私に、チラシには何が書いてあるか質問しました。私は彼女に法輪功を紹介し、また法輪功学習者は中国で残酷な迫害を受けていると伝えました。彼女はとても興味をもって私の話を聞いてくれ、私は彼女のほとんどの質問に答えることができました。彼女は法輪功の情報を聞いたことを嬉しく思い、私にチラシ代を払おうとしました。私は彼女からお金をもらわず、彼女に人々が法輪功、及び法輪功が受けている迫害に関心を持つことをとても嬉しく思っていると伝えました。彼女は私にママはどこにいるか質問しました。私は、ママは妊娠して、すぐ出産するので、今日は来ていないと答えました。おばあさんは私に、自分には兄弟、姉妹がなく、とても孤独だと言いました。別れを告げるとき、おばあさんはとても感動していて、目には涙が光っていました。

 自分を修煉者と見なす

 昨年、夏休みのとき、私はウィーンのハンガリー語学校の一週間の夏休み活動に参加しました。毎朝ママは私を集合場所に送り、午後にはまた私を迎えてくれました。補導の先生は毎日私たちをつれて、動物園、博物館などを見学しました。ある日、私たちはウィーンのDonauinselに行きました。私は他の子供たちも一緒に島で遊んでいましたが、突然私は走るとき左足をくじき、地面に転んでしまいました。私は痛みのあまり、左足で立つことができませんでした。私は補導の先生に伝えませんでした。彼女は他の子供達のために、すでに忙しくてどうしようもないところでしたので、またわたしのために気を使わせたくありませんでした。そして、私は片足で跳んでママが私を迎えにくる集合場所までいきました。やっと汽車に乗れたとき、とても嬉しかったです。わたしは足が痛くて耐えられない状態で、しかも非常に腫れていたからです。

 ママは私の足をみて、正念を発するべきだと教えてくれました。家に帰る途中で、私は正念を発しましたが、足はどんどん痛くなる一方でした。私たちが家に着いたとき、私のくるぶしの骨はすでに腫れて変形し、ママは普段はそれほどすぐ不安にならないのですが、ちょっと心配し始めました。私に病院に行って、X線検査を受けなくてよいかと聞きました。私はすぐ『転法輪』の中の次の話を思い出しました。

 「ある学習者は病院で注射してもらったところ、なんと注射器の針が何本も折れ、最後には薬も噴出してしまって、どうしても注射ができません。そこでやっと『そうか、わたしは煉功者だ。注射などしてはいけないのだ』と分かり、ようやく注射を中止することにしました」(『転法輪』)。

 私はすぐ、修煉者として私は病院へいく必要がないと認識しました。私は足が骨折していないか、或いは他のところが傷ついていないかなどを心配しませんでした。私の左足は依然として、地面に着けられない状態でしたが、午後私はまたもう一つの児童夏休み活動に参加しました。

 家に帰ったとき、私はママと一緒に煉功し、『転法輪』を読みました。私はその時どの段落を読んでいたかすでに覚えていませんが、いつもの通り、私たちはちょうど私たちが当日体験した内容に適合する段落を読んでいました。翌日私の足はすでにだいぶ良くなり、私はほとんど正常に歩けるようになりました。

 辛抱強く私の体験を聞いてくれて、有難うございました。

 2007年5月27日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/5/21/155324.html