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  幾度も迫害を受け、呂霞さん一家は離散、8年の刑で未だに監禁

(明慧日本)呂霞さんは山東省蒙陰県棉紡工場の職員。大法に出会ってから、心身ともに恩恵を受け、一家は平和で穏やかな生活を過ごしていた。99年7・20以降、江沢民によるヤクザ集団は法輪功に対して不法に弾圧したため、呂さん一家の平和な生活は破られた。呂さんは何度も不法監禁され、家を離れ落ち着く場所がなくなるまでに追い詰められ、最終的に離婚する羽目になった。呂さんは8年の強制労働の刑を言い渡され、今でも済南女子刑務所で迫害を受けている。

 2000年11月、呂さんは直訴するため北京へ出かけたときに、蒙陰県の610弁公室洗脳班へ不法連行され、20数日間にわたり迫害を受けた上、3000元を強請り取られた。

 2001年3月4日、呂さんは蒙陰県の610弁公室の李健をリーダーとする四警区の十数人の悪辣な公安警官に実家から強制連行された。リーダー格の類延成、房思敏は手先を唆し、呂さんを手錠で電柱に固定して、十数人が呂さんに対して殴ったり蹴ったりした。呂さんの頭や顔は血にまみれ、髪の毛は乱れて息絶え絶えになった。しかし、悪人らは呂さんに対して、さらに所謂「保証金」2千元を強請り取ったという。

 2002年3月、呂さんは再び蒙陰県の610弁公室に強制連行された。呂さんは16日間断食し、抗議を行った。610弁公室は、衰弱した呂さんに責任を負いたくないために、2千元を強請り取ってから、自宅へ解放した。

 2004年6月、呂さんは他の学習者と共に泰安市で数十人の公安警察に強制連行された。呂さんと学習者たちは、悪辣な警官の拷問を受け、中枢神経を破壊する薬物を注射され、虐待されたため、心身ともにひどく傷つけられた。

 2004年7月4日(旧暦9月15日)に、呂さん、趙衛東さん(男性、泰安市出身)、宋富栄さん(莒南地区出身)、宋其愛さん、俣慶園さんの男性1人に女性6人が泰安市泰山区裁判所で秘密裏に審理された。泰山区裁判所は学習者たちに対して、不法に予審(所謂開廷調査)をする前に、7人に対して不明の薬物を注射したため、予審時には全員が言葉を話すことができなかったという。9月24日、泰山区裁判所は7人に対して、8〜12年の不法判決を言い渡した。

 呂さんの夫は巻き添えにされたくないため、呂さんと離婚し、夫は娘の養育権を取った。呂さんはいまだに済南女子刑務所で迫害を受けている。

 2007年6月15日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/6/10/156640.html