法理上で明らかになると、妨害は自ずと解体する
文/大陸の大法弟子 小高
(明慧日本)ある日、私は両腕の皮膚が突然刺されたような感じがして、痛くなったり、かゆくなったりして、手で掻いたが、あまり気にしなかった。しかし、一、二日経つと酷くなってきて、針で刺したような赤い点が一面になり、赤くなりまた腫れてきた。私は、これは邪霊が妨害し、迫害していると知っていて、夜に連続して絶えず正念を発したが、効果はあまりよくなかった。翌日、明け方に静功をしようとしたが、情況は更に酷くなってきた。両手はかゆくて、いつも掻きたくてたまらなかった。靜功をするか、しないか? このとき、耳の辺りで「忍び難きは忍びうる。行ない難きは行ないうる。」という言葉が聞こえてきた。私は少しも躊躇せず、煉功音楽をかけ、静功をし始めた。
その時、すべての毛穴で虫が這っているようで、また鉄の針で皮膚を刺すか、蟻が中へもぐっているようで、大変かゆくて耐えられなかった。一秒一秒いずれも歯を噛んで静功を続けた。はじめの10分間は腕さえもずっと震えていた。私はこらえて法を暗唱し、邪霊を窒息させ、少しずつ頭が冷静になってきた。法理はありありと目の前にあるようで、一面につながって、私の頭の中に注ぎ込まれてきた。如何なる環境でも邪悪に妥協してはならない、という考えが絶えず眼前にちらつき、現れた。私は直ちに強大な一念を発した。大法弟子を妨害し、迫害しているすべての邪霊とその要素を徹底的に解体する。決してそれを認めず、今から決して邪悪に妥協しない。手は私の身体の一部分であり、必ず私の主意識の命令を聞く、私の一存で決める、と。邪悪、君は私を苦しめようとするが、私は君を更に苦しめる、私は再び掻くことはしない。
20分経つと、かゆみと痛み、刺されるような状態は少しずつ去って行った。私は50分間静功を続けたが、身体も結構楽になり、正に念が正しければ、邪悪は直ちに滅びて行ったのである。
日がたつと、腕にかさぶたができ、しかも一層ずつ皮が剥かれて行った。こうしてよくなってきた。痛くもないし、かゆみもなくなった。しかし意外にも、数日経つと、皮が剥がれたところに、また同じ情況が現れてきた。私はすぐ、これは私が求めてきたものだと認識し、それはそれに妥協したばかりか、またそれを認めたからだった。どうしてこう言えるのか? まずは、それの結果「よくなった」ことを認めた。実は、その現れ自体さえも認めてはいけず、どうしてよくなったとか、よくなってないなどと言えるのか? これはまさにその存在を認めているのではないか?
それから、「よくなった」という観念のもとで、手は知らず知らず引き裂いた皮を剥いだ。これはなんとなくそれに妥協したのではないか? だから、それは隙に乗じ、邪魔をし、迫害したのだ。また時々そこを触ったり、見たりすること、これも執着ではないか? 更に強烈になれば、それは求めることであるから、それがやってくるのではないか?
法理上少しずつはっきりしてきて、どうすれば良いかも分かってきて、邪悪も自ずと解体した。このことを通じて、私は何かのことにぶつかったら、どうやって法理上で向上するかが分かってきた。法に基づいて法を認識してこそ、正しい念を持って、正しい行いを行なえるのである。
2007年6月27日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/6/26/157575.html)
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