日本明慧
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同修に対する態度および師父に対する正しい信念について


 文/アメリカの大法弟子

(明慧日本)師父が「責任者に問題があれば、責任は間違いなく大きいのです。このことは皆さんに分かっています。師父の無数の法身は見ており、責任者の問題と彼の向上の機会を必ず見逃さないのです。」「修煉者の他人に対する態度は自分の修煉の表れでもあり、すべての人はこれらのことについて知っておかなければなりません。」(「二〇〇七年ニューヨーク法会での説法」)と書かれているのを読んで、私は突然身震いを感じた。なるほど、私は師父に対して正しい信念が足りず、師父がこのすべてを司っていることは信じていなかったことに気づいた。

 時には、この同修を見ても気に食わないし、あの同修を見ても心に問題があるとして、特に補導員の問題を非常に重く見て、彼らが私たち全体に良くない影響をもらたすことを恐れていた。私自身によるこのような執着は、他人におけるこのような考え自身が問題を長引かせ、何か不平不満を感じたときにいつも人心が膨らみ、自分自身を修煉者としてみなすことができず、さらに師父に対する正しい信念はなかったも同然だった。

 私は同修を見るとき、そして問題を見るときの一念は、自分を守っているということに気づいた。誰かの言動が私を刺激すると、自分のその刺激された部分がそれを受け入れなくなった。しかし、自分はなぜ刺激されたのか、自分に同じ問題はないのかと、自分自身の内に向けて探すことができなかった。よって、最初の一念は徹底的に浮動する人心を取り除き、他人を見る視点を自分に移して、自分自身を修めるようにすべきである。

 実は、大法がすべての命を救い済度している。宇宙がすべての特性を制御している。すなわち、師父がすべてを管理されているのだ。師父に対して正しい信念を持つことで、はじめて私たちの環境を正し、法を実証する純粋な環境を作ることができる。

 2007年6月29日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/6/28/157759.html