■日本明慧 http://jp.minghui.org/2007/07/06/mh072298.html 



「良くできた」ことの背後

(明慧日本)大法弟子は正法時期において、先生の要求に従って修煉がとても良くできていることがたくさんあった。しかし、よく考えて見ると、自分は他人から「良くできた」と言われ、自分でも「良くできた」と感じた時、これらの「良い」の背後にまだよくない心が隠れていたのではないか。いくつかの例を挙げる。

 同修が中国大陸のある所に多くのスローガン、真相の宣伝ビラがあったと言ったのを聞き、心の中にこの地区全体の大法を実証する情勢を喜ぶのではなく、「これらの宣伝ビラ、スローガンは私が考え出した物ではないか? 私はどれだけ大きなよい事をしたのか!」と思って、うぬぼれていた。

 ある人が脱党する電話を受け取ったと言ったのを聞き、この電話番号は私が明慧ネットに提供したものではないか、とすぐに思い着いた。

 怠らずに真相を伝え、とても深い付き合いの学友がやっと邪党から脱退し、私はほっとした。相手が救われたことをうれしいと思うと同時に、自分のことをいっそう喜んだ。「今後、彼が残されるのは私が行ったためである。時がきて、彼はどれほど私に感謝するだろう。」

 自分の書いた文章が明慧ネットに発表されると、「この文書はきっと同修のためになる。」と、心の中でとてもうれしく思った。それに伴って別の一念が出てきた。「こんなに多くの人がこの文章を見ることができ、私のこの文章が果たした役割はどれほど大きいものか!」

 ある夏の日、数人の学生が私の家に補習授業を受けにきた。彼らが入ったらすぐ水をほしがるのを知っていたので、そこで前もって彼らに冷たい牛乳を用意した。粉ミルクを溶かす時にある一念が浮かんできた。「これらの粉ミルクはもうすぐ賞味期限がくるので、早く飲み終わらせよう、むだにならなくてすむ。」

 夫は外で、私に対して常人の基準で見てよくない事をした。その時、我慢できないと感じたが師父の法理を思い出したので、数日後、状態が回復し、以前と少しも変わらず夫と接することができた。心の中で「私は必ず彼を救う。それは、彼がこんなに良くない事をしたから、私が円満成就した時、彼は私の白日飛昇の姿を見たら、きっと後悔するでしょう!」

 以上、これらの「良くできた」ことは、一方で、修煉の中で心性が高まり、法の要求に従って行ったことの現れである。また一方は、「良くできた」ために執着心が生じた後の心理状態は、根本的に私のためであり、自分を実証することが目的であった。

 私達は大法の中で修煉している生命であり、最後に無私無我で、なおかつ他人を先に自分を後にするという正覚にまで修煉しなければならない。未来の新宇宙の大覚者たちよ、われわれは自分が「良くできた」と感じた時、これらの心(執着心)は一瞬にして消えるものだが、くれぐれも油断せず、放任してはいけない! 最後になればなるほど、精進すべきである。

 2007年7月6日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/6/28/157738.html

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