日本明慧
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正念をもってすべてに対処する


 文/容心

(明慧日本)何週間も前、大法の暗誦を通じて、一つの重大なことに気づきました。それは迫害が発生して8年来、私にはずっとこのような考えがありましたが、ただその考えは大法への学習を通じて得たものではなく、人の状態から得たものです。ここ8年来、ずっと邪悪な迫害に対抗しながらその中で自分のできる限りのことをしてきました。この対抗的な気持ちがずっと続いています。その表現というのはつまり、何かをする時、心の中で、将来何が起こりそうだとか、そうすると自分はどうすればいいかとか、いかにして自分の安全を守るかを考え、分析することです。自分が迫害されないように、大法の学習を続けています。大法を学ぶ基点は自分を守るところにあるので、ほとんど大法の裏にある内涵を読み取れませんでした。しかし、大法を学ばなければ、危機感と恐怖心に包まれます。つまり、迫害されるのを怖がっているのです。

 昔中国にいた頃、私は資料を配ろうとする前に、ポケットに入れていたすべての証明書を寮に置き、また学習者の電話番号も手帳ではなく、全部頭に入れるようにしていました。そのとき、外出すると、邪悪がどこかで待ち構えているかのように感じ、学習者が外出から戻らないのを目にすると、真相を伝えに行くのは非常に危険で、何か危ない目に会ったら大変だと思い、証明書を身に付けないのもいざ何かあった時、邪悪に何も見つけられないためです。その時、ただ消極的に迫害に耐えているだけで、自分のことを神と見なして、正念で迫害を解体する考えはありませんでした。

 その後、海外に行っても、自分を表に出さないように、自分のことを人目に曝さないようにしていました。心の中では、有名になったら、邪悪に注目される可能性が大きい、そうすれば、迫害される可能性も大きいと思ったからです。真相を伝えることをしたとしても、ただの見せ掛けだけで形に過ぎません。この何カ月間か大法を暗誦したおかげで、自分の問題を見つけました。以前も、どうもどこか変だと思っていましたが、ただ逃避するだけで、自分の問題を正視しなかったのです。今この恐れの心がもう暴かれましたが、大事なのは思い切って取り除くことです。

 今度の迫害は別に邪悪がどんなに強いかというわけではありません。それは私たち学習者自身がその邪悪な要素を養い、認めたと同時に、私たちのまだ修めていない正しくない部分が知らず知らずのうちに邪悪に隙に乗じられたため、まだその邪悪を徹底的に解体しなかったからです。

 師父は「2004年ニューヨーク国際法会での説法」の中で次のようにおっしゃいました。「もし中国大陸でこの迫害が起きた当時から、大法弟子は今のように正しく行うことができれば、この迫害は発動され得なくなります。それらの邪悪は瞬時に消滅されてしまい、この世は彼らが悪事を働く場所ではなくなります」。これを読んで、深く揺り動かされました。すべて弟子が正しくないせいです。天安門焼身自殺事件、酷刑による学習者殺害、生体臓器摘出などの事件については、別にこういう事件があったから、それを利用して真相を伝え、人を救うのではありません。もしすべての学習者の正念が足りていれば、この迫害も無くなるでしょう。

 2007年7月30日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/7/30/159809.html