日本明慧
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色欲の心を捨てることについての一点の悟り

(明慧日本)暫くの間、突然妻に対して欲望が起こり、押さえつけてはまた上がってきて、どうしても根から抜くことができません。とても苦しいです。数日前、座禅を組んだ時、先生は色身に関する法を私の脳裏に打ち込んでくださいました。私はすぐ古人がなぜ雑念を払い欲情をなくすことができたのか、夫婦がお互い尊敬し合うということを理解しました。先生は「たいした能力のない生活を送り、下手な方式で子孫を繁殖しています」『シドニーでの講法』、「神は自分の様子に似せて人間を造りました」『北米での巡回説法』という法が分かりました。

 実はいま私達はこの色身があって、きっとそれは子孫を繁殖するためですが、身体の本当の使命は返本帰真のため、法を正す時期の使命を履行するためです。この色身は子孫を繁殖することができて、また体は神に似せて造られたので、色欲の中で迷うことができないということを自分が分からなければなりません。それでは色身、色欲はすべて需要のために造られたのでしょうか? 夫婦の生活は、子孫を繁殖することはすべて義務、任務ではありませんでしょうか?

 本当に神の状態の時、このすべてがいらないのです。そして人の色欲の心は薄ければ薄いほど神の要求に合致し、さらに多くの色欲の心を放棄してさらに神の状態に合致し、さらにはっきりして、知恵に至ります。ですから古人は慧根をもって修行を積むことができ、雑念を払い欲情をなくすことを知っており、夫婦は尊敬し合います。実は夫婦は義務を完成した基礎の上、最も良い友達で、神と似ている体と夫婦を結び、本当に大切にして、汚すことができません。だから夫婦の縁は容易ではありません! 

 先生のお話は今の人類の状態を見て、考えたとき、恐ろしいですが幸運でもあります。偉大な先生に感謝します。

 個人の悟りですが、同修たちは法を師にするようお願いします。

 2007年8月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/8/3/160055.html