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廣東省の法輪功学習者・楊明芬さんが迫害され死亡した詳細の補足

(明慧日本)2004年11月28日に報道された廣東省茂名市の楊明芬さんが迫害され死亡した情報についての補足。

 楊明芬さん(女性)は、1998年より法輪大法を修煉してから、健康であった。1999年「7・20」以降、江沢民ヤクザ集団は権力を利用し、法輪功に対して全面的に血まみれな迫害を開始してから、楊さんは、2000年3月18日に自転車で北京へ直訴に出かけた。しかし、途中で悪辣な警察官に強制連行され、茂名市に戻され1ヵ月間監禁された。

 2001年、楊さんは真相を伝えたとき、茂名市茂南区公安市局政保科の彭剣、楊偉杰、女性警察官の呉に、茂名市第二拘置所へ強制連行され、3ヵ月間監禁され、毎日十数時間の労働を強いられた。楊さんは煉功を堅持したため、拘置所所長の張と、警察官の莫に、手錠と足かせを掛けられ迫害された。楊さんは三水婦人教養所で1年間にわたり不法強制労働を強いられた。強制労働教養所では、恐怖と強力な圧力および欺瞞の下、楊さんは心に反して「三書」に署名をした。

 2002年5月頃、茂名市610オフィスは、楊さんが「三書」を破棄したことを知り、楊さんを茂名市洗脳班に強制連行し、強制的に「転向」を強いた。

 洗脳班に監禁された1年間、楊さんは人間性を失った悪人に虐待を受けた。悪人・張沖云、呉文瓊、譚指林、沈滴滴、魏秀珍、張宏瑞、馮麗坤などは、すべての卑劣な手段を使い、法輪大法を侮辱し、罪をなすりつけた。洗脳班側は、学習者を強制的に「転向」させ、「転向」しない学習者に対しては、さらに厳しく監視制御し、ひいては暴力を振るうことを保安に指図した。楊さんは、何度も保安の鄭国偉、龍、黄、戴らに殴られたり蹴られたりした。さらには、顔めがけて冷たい水を、ぶっかけられ、手錠で窓に固定され何十時間にも及ぶ虐待を受けた。

 長期にわたる残酷な迫害によって、楊さんの体は日増しに衰弱し、後半になってからは食事をするのも困難な状態になり、3ヵ月に亘って大便が出ないまで悪化したという。強制労働教養所側は、楊さんが危篤状態に陥ってから、ようやく2004年3月に解放した。楊さんは自宅に戻っても体は回復せず、さらに血を帯びた大便が出るほど悪化した。楊さんは、旧暦の9月13日午前7時にこの世を去った。

 2007年8月11日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/8/10/160580.html