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鄭捍東さんら数名の法輪功学習者は湖北省刑務所にて迫害され死亡

(明慧日本)2007年3月20日頃、鄭捍東さんなどの琴断口刑務所に不法監禁された法輪功学習者たちは、沙洋家台刑務所へ移送され、引き続き不法に監禁された。監禁中に鄭捍東さんはひどく迫害され、病気が次々と現れた。しかし、鄭さんが危篤状態に陥っても、刑務所側は彼を解放しなかった。鄭さんは2007年8月8日午後3時に迫害され死亡した。

 一方、荊門市中学校の教師である法輪功学習者の陳啓季さんは、沙洋家台刑務所にひどく迫害され、気息奄々としていた。陳さんは、2月7日に自宅へ戻されたが、2ヶ月も経たないうちに冤罪を着せられたまま、この世を去った。

 鄭捍東さん(男性・44歳)は湖北省蔪春県漕河鎮の出身で、1998年から法輪功の修煉を始めた。2000年12月27日、北京へ直訴しに行ったため、家を離れる羽目になり落ち着く所がなくなった。2003年2月、強制連行され、監禁された間にひどく拷問された。同年、地元の610オフィスに7年の懲役を不法に言い渡され、湖北省琴断口刑務所へ移送され迫害を加えられた。

 琴断口刑務所に不法監禁された法輪功学習者たちは、それぞれ1人ないし数人の刑事犯によって、24時間にわたり、トイレへ行くときも監視され続けていたという。悪辣な警察は長時間にわたり、強盗犯、殺人犯などの受刑者を利用し、学習者を監視、虐待させたという。学習者たちは洗面・洗濯に必要な水が与えてもらえない上、強制的に刑務所の悪人らの世話をさせられたこともあるという。学習者は自分に課せられた仕事量をこなさなければならないだけでなく、監視に当たった受刑者の仕事まで強いられた。

 2006年6月7日、琴断口刑務所各分監区の学習者は15分監区へ集合させられた。悪辣な警官いわく、学習者たちに緩和した環境を与えるというが、実際は『九評』(共産党についての九つの論評)が刑務所内で広く伝わることや、更なる多くの入所者が法輪功の真相と邪党の本質が分かることを恐れているだめだった。7月に22人の学習者が連名した公開書簡は、刑務所の警官宛に送られた。書簡の中では、警官に対して、法輪功学習者の待遇の改善、邪党の関連組織からの脱退を説いたため、刑務所の警官にひどく迫害を加えられた。刑務所の悪人警察政委・鄒開亮は他の分監区から最も凶悪な受刑者を15分監区に移動させ、学習者を転向させることを指図した。この指示に従わない者に対して、同年の行政奨励が取消される上、監禁されることになるという。通常では2〜3人の受刑者が1人の学習者を対象に行い、学習者同士の接触を遮った。鄭捍東さん、斉青松さんは先頭に立って、悪人らの言うことを拒否したため、二分監区へ連行され隔離され、迫害を加えられた。また、鄭智洪さんが悪人らを無視したため、ひどく殴られ重傷を負い、3日間ベッドから起き上がれず、食事も出来なかったという。

 15分監区で学習者の迫害に参与した警官は、隊長の陳金明、指導員の王宏偉大、福祉動因の陳澎濤、副隊長の張緒権、悪辣な警官・胡芸。

 2007年3月20日頃、鄭さんなど学習者は邪党の悪人らに琴断口刑務所から沙洋家台刑務所へ移送され不法監禁され続けた。6月初旬以降、范家台は琴断口刑務所から移送されてきた一部の学習者に対して、外出を禁止し、午前5時に起床させ、夜10時まで、テレビの音量を最大にし、反抗的な態度をとり続けると、良い結果にはならないと揚言した。

 鄭捍東さんはひどく迫害され、病気が次々と現れた。しかし、鄭さんが危篤状態に陥っても、刑務所側は彼を解放しなかった。鄭さんは2007年8月8日午後3時に迫害され死亡した。

 2007年8月14日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/8/13/160740.html