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師父の按排下で修煉し、迫害の中での向上は要らない


 文/中国吉林大法弟子

(明慧日本)法輪大法は宇宙大法で、すべての生命を作る根本です。すべての生命は大法から背離すると、存在することができません。では、この迫害は法理に背いて、師父に認められていないのに、なぜまだ長い間続いているのでしょうか。

 個人の悟りなのですが、師父はこういうことを教えてくださいました。「われわれ宇宙には、自分の追求しているもの、欲しがっているものについては、他人はふつう干渉することができないという理があるので、動物はまさにこの隙に付け入ったのです。『彼が求めているのだから、与えてやり、助けてやることは間違っていないだろう?』そして動物はそれを与えてくれます」(『転法輪』)。大法弟子を迫害する原因は他ならぬここにあるのです。私達は邪悪の按排を徹底的に否定し、師父が按排してくださる道を歩むといつも言っていますが、まだ取り除かれていない観念や人心のせいで、無意識のうちに邪悪の按排した道を歩いてしまうことがよくあります。

 例えば、ある日、私用があって、出かけると、途中で急に嵐に見舞われました。その嵐によくないものがあると感じて、その現象に対し、内に向けて探してみました。どんな執着で迫害を招いたのだろか。どの考え方が正しくないのか?あ、そうだ、常人の心があるから、それを口実に迫害したのか。では、その用事をしたいのは常人の心があるから、行くのをやめようと、そこまで考えると、体の向きを変えて、戻ろうとしたら、風雨が弱くなりました。風雨が弱くなったし、執着を見つけたら、迫害はもう存在するはずはないから、やはり用をやりに行こうとまた考えを変えました。ところが、あまり遠く行かないうちに、嵐は前よりも更にひどくなってきました。横降りの雨は目が開けられなくなるほどに頬を打ち、私はバイクに乗って、全然向こうの道が見えなくなり、とても事故を起こしやすい状態でした。

 これでやっと私は分かりました。今までずっと迫害の中で修煉するという考え方が心に潜んでいます。迫害の現象があると、内に向けて探し、心性を高めると、迫害もなくなるとずっとそう思ってきています。それはちょうど旧勢力の「大法弟子の向上を手伝い、大法弟子に正念を出させるように叩く」という考え方に符合してしまいました。しかし、私たちは大法弟子です。師父の弟子です。すべての生命は私たちを試練する資格がありません。更に大法弟子の向上を手伝うことを口実に大法弟子を迫害してはいけません。大法弟子は宇宙で一番偉大な生命で、低い霊や変異した生命に迫害されるのは大法と師父への侮辱なのです。だから、私たちはどう思っても、どんな執着があっても、邪悪も迫害する資格はありません。私たちは確固たる一念を発しさえすれば、邪悪が解体してしまうに違いありません。私たちは師父の按排してくださった道しか歩きません。正常な環境で法を学び、衆生を救い済度し、各種の執着を取り除きます。邪悪の参与は要りません。

 それが分かると、私は固い決意で心の中に宇宙空間で邪魔をし、はびこっている生命に言いました。「私は大法弟子だ。師父の按排してくださった道しか歩まない。お前らのそんな按排は要らない。お前らの行為はこの上ない大罪を犯すことになるのだ。直ちにやめなさい!」言い終わったら、果して風雨が正常に戻り、ずっと弱くなってきました。

 大事な時に、私たちは旧勢力の按排が要らないという確固たる一念を発すれば、旧勢力は無理やり自分の按排を押し付けなくなるのです。だから、師父の按排下で修煉し、衆生を救い、決して迫害の中で向上するのではないということをはっきり分かってほしいです。

 個人の見解ですが、不当なところがありましたら、ご指摘をお願いします。

 2007年8月19日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/8/16/160909.html