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直ちに迫害を終わらせるのは,衆生を救い済度するためである


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)直ちに迫害を終わらせることと衆生を救い済度することとの関係について、迫害が終わったら、衆生の救い済度も終わり、法が人間を正す時期になってしまうと思っている学習者がいます。甚だしいことに、師父の経文から自分の観念に符合する説法を探し、自分の考えが正しいと証明しようとしています。

 では、この考えは本当に法に符合するのでしょうか。或いは、法から自分の執着を隠し、口実にする文句を探し、自分を実証しようとするのでしょうか。

 衆生を救い済度することはわれわれが物事を考える時の基点なのです。迫害の存在は彼らが真正面から大法を正視できないもっとも大きな障害なのです。彼らが真相への理解、認識、ひいては未来への選択はみな虚言の欺き、自己保護の恐れ、党文化の思惟などに阻まれています。

 「世の人々はこんな状態の元で態度を示してはじめて未来に入る」という観念はちょうど無意識の内に迫害の合理性を認めることになるのではありませんか。これは師父の本願でしょうか。邪悪な旧勢力の仕出かしたことが正しいと認めることになるのではないでしょうか。

 衆生を救い済度するという目的から見れば、大法弟子のこの考え方が迫害の延長を促進したのではありませんか。これは恥だし、マイナスの教訓からまだ抜け出していないと思います。そこまでまだ悟っていないからこそ、師父と正神が手伝おうとしても、手伝えず、この迫害が続く中、法を正すことが必ず成功すると信じ込んで、下りてきた生命も虚言に欺かれ、大法と大法弟子に罪を犯してしまったのです。

 直ちに迫害を終わらせるのは大法のためにきている世の人々に障害のない状況の下で、真実な現実の前で自分の未来を選択させるためです。大法弟子は衆生を救い済度するための唯一の希望として、この発生すべきではない迫害を終わらせるという免れない責任を持っています。もし1999年のとき、私たちは今のように理性で、はっきりとした法理上の認識を持てば、邪悪はこの迫害をそもそも発動することができなかっただろうと思います。

 今、私たちはさらに成熟し、落ち着いてきました。衆生を救い済度するため、私たちの誓約を圓満に成し遂げるため、大法の偉大さを実証するため、強大な正念を持って、直ちにこの迫害を終わらせようではありませんか。

 2007年8月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/8/16/160910.html