日本明慧
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全体的によく協調し、衆生を救い済度することを第一位に位置づける

(明慧日本)師父は『米国首都での説法』の中でこのように説かれました。「皆さん個人が、最後の圓満成就に向かう道のりの中で経験すべきこと、切り開くべきことのほかに、皆さんにとって最も主要なこと、つまり現在の最大のことは人を救うことです。このことがなければ、皆さんに教えますが、皆さんの修煉は随分前にもう終わったのです」。師父の説法の中から衆生を救い済度することの緊迫性をよく感じとれました。

 ここで、何日か前に経験したことについて、ちょっと学習者の皆さんと交流したいと思います。

 常人の中で身に付けた、いろいろな観念がまだ取り除かれていないため、ある学習者といつも揉めていました。お互いの交流が少なく、彼女によって傷つけられたことに対し、ずっと気にしていて、不満を持っていました。内に向けて探さなければならないこと、自分の多くの観念や、執着心を取り除かなければならないことを、よく知ってはいるものの、面子のことを考えて、そっちが取り合ってくれなければ、こっちも取り合ってあげないと思い、ずっとお互いの矛盾に直面せず、彼女とも長い間会わないでいました。

 私は同僚に何回か真相を伝えてから、やっと三退に同意するようになり、彼女が美しい未来を選んだことをうれしく思うと同時に、いち早くネットで声明しなければならないと思いました。しかし、私はコンピューターを持っていないので、その矛盾のある学習者に頼む以外には、方法がありませんでした。

 それで、私の面子の方が大事なのか、それとも衆生を救い済度することの方が大事なのかと、私は随分躊躇いましたが、その時、師父の「無私無我で無ければ」と言う言葉が頭に浮かんできました。私は、心の中で決めました。「衆生を救い済度することほど大事なことは無い、それに比べて、面子が何者だ」学習者も同じように考えていると信じています。大法弟子にとって、衆生を救い済度することほど大事なことは無いでしょう。

 ここまで考えると、落ち着くようになり、人の観念は影も形も無くなりました。その学習者に会って、声明のことを言うと、快く承知してくれて、すぐネットで声明を発表してくれました。私たちは、2人ともその生命が救えることを喜んでいます。

 このことから悟ったのですが、衆生を救い済度することを第一位に位置づけると、自分の度量も広くなり、それと比べて、学習者同士の矛盾は、本当に取るにたらない事なのです。

 よく修めていませんが、ご叱正をお願いします。

 2007年8月23日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/8/19/161126.html