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「人権聖火」と「世の人々を救い済度する」こと


 文/アメリカ大法弟子

(明慧日本)今「人権聖火」の活動が海外で脚光を浴び、マスコミと世の人々に注目され、国内の民衆にも注目されています。それは真相を伝え、衆生を救い済度する絶好のチャンスです。しかし、それと同時に、一部の問題も浮上してきました。ここで、これらの問題を持ち出し、学習者の皆さんと切磋交流させていただきたく、不当なところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。

 一、師父は最近の何回かの説法の中で、ずっと大法弟子が今やるすべてのことは、人を救い済度することであると戒めてくださっておられます。

 「人権聖火」によって、常人社会のたくさんの正義の組織と個人が、大法への支持、及び共産邪党の迫害への厳しい譴責が反映されています。常人によって始められたこのような大規模な反迫害運動は、ここ8年来初めてなのです。海外で起こったこの大事件を、中国大陸の民衆や海外の中国人に伝えるのは、確かに法輪功が国際社会で受けた正義の支持、善悪、是非を見分けるのにとても役立ちます。

 邪悪な党文化の毒害のせいで、今の中国人は邪党と中国とを見分けることができず、その上、邪党が意識的に民族的な情緒を歪めたため、国際社会は、オリンピックの「中国」での主催に反対するというふうに勘違いされがちです。実は、国際社会が反対しているのは、中国共産党の虚言、恨みと迫害であって、中国ではありません。もし中国共産党が、法輪功への迫害を止め、法輪功学習者の臓器摘出を止め、強制労働を強いられ、監禁されている法輪功学習者を全員釈放するなら、「中国共産党主催下のオリンピックへの反対」という言い方も自然になくなるのです。

 中国共産党は、オリンピックの主催を口実に中国での人権迫害を激化させ、その中の最大の人権問題は法輪功への人権問題であるため、この問題をはっきり認識していない中国人に対して、はっきり説明しなければなりません。

 例えば、オリンピックの唱える精神は「和平と公正」ですが、中国の劣悪な人権記録、及び法輪功への8年間の残酷な迫害、例えば、2007年以来オリンピックを口実に、各地での法輪功学習者を憚りなく大量に捕まえること(遼寧、吉林、黒龍江、河北、湖北、四川各省はみなその現象がある)、法輪功学習者を入国させないようにブラックリストを作ること、これは皆「和平と公正」というオリンピックの精神に背いているのです。だから、中国共産党はオリンピックに泥を塗り、中国に泥を塗り、中国人に泥を塗ることをしているのです。ヒトラーが国際社会で人権賞を授与されないと同じように、中国共産党もオリンピックを主催する資格はありません。正義な人々がそれに反対するのは当たり前のことです。

 二、大法弟子、或いは法を正す立場から見れば、なぜ何百年もの歴史あるオリンピックが、来年中国で行われるのでしょうか。三界のすべてはみな大法のために来たのです。そのすべては偶然でありません。師父は『米国首都での説法』の中でこのように説かれました。「実は旧勢力がどのように行っても、宇宙の中の相生相克の関係の中でこのようになるしかありません。どのように行っても、大法弟子のために広告することになります」。こういう意味では、邪悪の「人権聖火」への攻撃は、ちょうど私たちが真相を伝える良いきっかけになるのではないでしょうか。邪悪は何を仕出かしても、どんな虚言を作っても、皆私たちに真相を伝えるように利用されることになるのです。

 三、師父の要求された「現在、皆さんは他でもなく、更にしっかりと行い、効率よく行い、より広い範囲に影響を与え、更に多くの人を救うことができるようにすべきです」(『米国首都での説法』)ということに達成するために、3つのことをよくやらなければなりません。そして、その前提としては、大法弟子は法理上ではっきりと認識し、強大な正念を持たなければなりません。

 「人権聖火」は常人の活動です。その目的は中国共産党の人権への迫害を暴くと同時に、国際社会がその迫害を排斥するように呼びかけることです。(法輪功への迫害は中国の最大の人権問題で、その真相をはっきり伝えるべきです)大法弟子が「人権聖火」の活動に参加するのは、その形で国際社会の注目を引きつけるためです。根本的な目的はオリンピックそのものにあるのではなく、迫害を終わらせることにあるのです。大法弟子が中国共産党を暴くのはその党を解体し、その政権を覆すためではなく、人々に真相を分からせる障碍を排除し、人を救い済度するためであるのと同じです。

 大法弟子の基点に立ち、私たちはこのチャンスを十分に生かし、普通なかなか接触できなかった政界、商業界、スポーツ界、人権団体、更に宗教団体に広範に真相を伝えることができるのです。

 もちろん大法弟子はオリンピックが中国で開催できるどうかに執着してはいけないし、迫害を終わらせることを常人に依頼してもいけません。もしその過程で大法弟子が最大限に衆生を救い済度することを目的とせず、「悪党の支配下のオリンピック」を排斥する、そのこと自体を目標と原動力にしてしまえば、それは大間違いなのです。また、私たちには邪悪からの誹謗中傷と攻撃を恐れる心があれば、それも邪悪に隙に乗じられて、衆生を救い済度することにマイナスの影響を与えてしまう恐れがあります。それから、もし私たちが自分のことを常人社会の弱者と見なせば、それも常人社会に反映され、真相を伝える効果を弱めてしまいがちです。

 常人の思想は、実は大法弟子に従って動いているのです。「オリンピックに反対する」とか、「中国に反対する」とかと邪悪に攻撃されるとき、私たちも本当にこの方面の執着や、まだはっきり認識していない不足があるかどうかを落ち着いて考えるべきではありませんか。

 師父は『2002年米国フィラデルフィア法会での説法』の中で次のように説かれました。「以前既に話しましたが、実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです。旧勢力が存在していますが、皆さんにその心がなければ、旧勢力も為す術はありません。正念が十分であれば、旧勢力もどうしようもありません」。

 では、私たちもオリンピックが開催できるかどうかに執着しているのではありませんか? オリンピックを、迫害の制止、衆生を救い済度することよりも重要視しているのではありませんか? 私たちの考えの中でも、「中国共産党」と「中国」の概念を混同しているのではありませんか? 「政治に携わる」こと、「中国に反対する」ことを常人から言われるのを恐れているのではありませんか? もしそういう問題が存在すれば、それは衆生を救い済度する障碍になり、なるべき早く取り除かなければならないのです。

 例えば、『九評』が発表された当初、法理上はっきり認識していない学習者は「政治に携わる」ことを恐れ、常人に「政治に携わる」と言われることを恐れるため、邪悪に制御された常人に、私たちが「政治に携わっている」と言われました。そうしたら、それに阻まれてしまい、『九評』の紹介、三退の勧めを辞めてしまいました。私たちはこういう教訓を十分に汲みとり、冷静で理性的にならなければなりません。矛盾にぶつかったら、内に向けて自分の不足を探し、それから、磐石のごとく大法弟子としてやるべきことをやらなければなりません。そして、衆生を救い済度することができれば、衆生を救い済度するという本線から逸れなければ、私たちは絶対正しい道を歩んでいると思います。

 以上、個人の会得です。

 2007年8月31日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/8/28/161669.html