■日本明慧 http://jp.minghui.org/2007/09/04/mh054592.html 



発正念についての会得

 文/中国河南周口大法弟子

(明慧日本)私は正念を発するときに、いつも「口訣」を念じてから、暫く経つと、昼間に真相を伝えるときによくできなかったこと、どこかへ真相を伝えに行くことや普段の生活で起こったことなどが頭に浮上してきます。大体私が興味を持っていることですが、それを思うと、大体2、3分経ってしまいます。正念が出始めるときに初めて自分が正念を発しているから、妄想をしてはいけないと気がつきます。しかし、暫く経ってまた他の執着している事が浮かんできます。

 後で師父の『2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説』の中での発正念の説法を読んで、入静しなければと思い、また気が散る時、「それは私ではない。今師父が要求されるとおり、正念を発しているのだ。私は大法弟子だ。師父のお話を聞かなければならない」と自分に言い聞かせる事により、入静できるようになりました。ただ暫く経って、妄想がまた浮上してきたら、また以上の言葉を繰り返していました。

 この2、3日、また気が散ってしまいました。それから、よく考えましたが、発正念をするときに浮上してきたのは大体が重要に思っていることやいい案なので、それを思いつくと、続けて考えるようになり、その結果、発正念を妨害してしまったのです。だから、そういう意味ではそれも執着ではありませんか。

 それが分かると、発正念をしてまた気が散ったら、「それは執着だ、邪悪に利用されて、発正念を妨害しているのだ」と自分に注意し、そうすると、すぐ入静できるようになりました。

 入静してから、自分の手、体全体が何かに吸われているようで、手にエネルギーが通るのを感じ、気持ちがとてもいいです。それに、発正念の時間もとても短く感じています。もし座禅しながら正念を発すると、ぜんぜん痺れないし、座禅を崩すと、足がとても軽いと感じます。それに対し、もし入静できなければ、時間も長く感じるし、座禅を崩すと、足も痺れてしまいます。

 他の学習者と切磋するときに、入静できないと言う学習者もいるので、自分の会得を皆さんと交流したく、ともに向上できればと思っています。慈悲なるご指摘をお願いします。

 2007年9月4日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/1/161920.html

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