日本明慧
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「怕」(恐れ)を論ずる


 文/未名

(明慧日本)「怕」(日本語:恐れ)という字は、「心」と「白」からなっていますが、それはどういう意味でしょうか。それは「無駄な心配をする」という意味ではないでしょうか。 よく考えてみれば、正にそういう意味なのです。人は傷つけられるのを恐れるとか、何かを失うのを恐れるとか、死を恐れるとか……要は何でも恐れるのです。

 常人について言えば、人の損得は因縁によって決められています。自分にあるべきものなら失うことはなく、自分にあるべきでないものなら求めようとしても手に入れられません。恐れることはただ自分の気分を悪くするだけで、何の問題も解決できません。勿論、常人は何かを失うのを恐れるものですから、それはさておき、ここで真に修煉している大法弟子のことを考えて見ましょう。

 師父は相生相克の理を教えて下さいました。「つまり恐れる心がなくなれば、恐れを感じさせる要素もなくなるということである」(『精進要旨(二)』・「最後の執着を取り除こう」)、「你(なんじ)に怕れ有らば 它(た)就(すなわち)抓(つか)む 一正を念ずれば 悪は就(すなわち)土夸(こけ)る」(『洪吟二』・「怕口舎」(しゃをおそれる))。修煉者にとって、「怕」は本当に無駄な心配をすることなのです。それによって、衆生を救い済度することを遅らせることになったのです。

 個人のちょっとした悟りですが、皆さんと分かち合えれば幸いです。

 2007年9月27日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/25/163266.html