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湖南省懐化市の劉建華さんとチチハル市の趙亜珍さんが迫害により死亡

(明慧日本)

 湖南省懐化洪江の法輪功学習者・劉建華さんは迫害により死亡

 湖南懐化洪江の法輪功学習者・劉建華さん(女性)は圧力をかけても法輪功の修煉を放棄しないため、中共による8年にも及ぶ法輪功への迫害の中、5回にわたって不法に監禁され、その中の2回は湖南株州白馬壟労教所で残酷な拷問・迫害を受け、体が厳重な損傷を受けた。その上、数回にわたり記憶力が失われ、体は極めて虚弱におちた。2007年9月3日、彼女は冤罪を負ったまま殺される。たった44歳の若さでこの世を去った。

  劉さんは、湖南洪江針織器材工場の職員であり、1998年初めて法輪功を修煉し始めた直後、以前の病気が痕もなくすべてなくなり、身心共に健康になった。しかも、彼女は、いつも隣近所の人々に優しい人と言われていた。

 1999年7月20日、中共悪党が法輪功を迫害し始めた。劉さんは法輪功の素晴らしさを陳情するために上京し、洪江公安局政保課の警察に不法に送還された。洪江拘留所に3ヶ月不法に監禁された後、強制的4000元(6万円相当)の罰金を違法に支払われた。

 2000年12月、劉さんは再び迫害が間違っていると陳情するために上京したが、また送還され、拘留所で3ヶ月拘束された後、1年の労教を不法に言い渡された。湖南株州白馬壟労教所で拷問を受けた。

 2002年、劉さんの家が不法に捜査された。家の中にあった法輪功の真相資料が見つかると、3ヶ月間に及び不法に拘留所で監禁された。

 2003年のある日、洪江「610弁公室」の人が突然劉さんの家に押し入り、不法な捜査を行った。一枚の法輪功真相の資料が見つかったという理由で、再び彼女を連行した。不法に7ヶ月間に及び彼女を監禁した。

 2004年11月、劉さんは真相資料を配った時、会同県公安局黄茅派出所の悪警官・楊進平に髪の毛をひっぱられたまま、500メートル以上地面を引きずった。劉さんは悪らつな警官に従わず、どうしてもパトカーに乗ろうとしなかったため、悪警官は彼女の髪の毛を掴んで頭を車のドアにドンドンと強くぶつけた。彼女を意識不明になるまで強く打ち続け、やっとパトカーに押し入れた。当時、頭が強く衝撃を受けて、劉さんの大脳に欝血の塊ができた。拘留所に入られた後、悪党の悪人らは直ちに彼女に2年の労教を不法に言い渡したが、この判決を彼女の家族さえ知らせなかった。

 白馬壟労教所で、彼女は数々の酷刑を受けた。「禁閉室」に閉じこまれるのは日常茶飯事のようにされている。断食で抗議したらすぐ野蛮な灌食で学習者を苦しめる。劉さんも残忍な灌食の迫害を受けたことがある。白馬壟労教所から出た時、元々健康だった彼女は、高血圧、心臓病、肺炎、すい臓炎等の病気に纏われていた。これはすべて労教所の残忍極まる拷問によるものである。長期にわたって労教所で悪らつな警官に拷問され、彼女の体が厳重な損傷を受けた、常に頭痛に罹っていた。しかも、何回も記憶力を喪失し、頭がぶらぶらして、冷汗をかき、体が極めて虚弱状態に墜ちた。2007年9月3日、44歳の若さで劉さんは冤罪を負ったままこの世を去った。 

 チチハルの法輪功学習者・趙亜珍さんは迫害により死亡

 2007年9月23日、チチハル市富拉基区の法輪功学習者・趙亜珍さん(女性)は迫害によって亡くなった。

 趙さんは、1995年法輪大法を修煉し始め、全身の病気がすべてなくなり、身心に多大な変化が起こった。その後、ずっと補導員の仕事を担任していた。1999年の邪悪な迫害が開始後、彼女は3回にわたって悪らつな警官に強制連行された。

 2004年歳末、趙さんは再び富拉基区の拘留所に連行され、過酷な環境及び酷刑に苦しめられ、肺病の症状が現れた。数日間の断食を以って、彼女はやっと家に戻ったが、またチチハルの裁判所に不法に5年の判決を言い渡された。

 趙さんは家で病気治療の期間においても、悪らつな警官らに絶えず脅迫され、不安の日々を過ごした。その後、彼女は体の病気が日増しに重くなったにもかかわらず、世の中のために依然として真相を語り続けていた。2007年、趙さんには全身性水腫の症状が表れ、9月23日にこの世を去った。たったの53歳でした。

 2007年9月29日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/28/163482.html