■日本明慧 http://jp.minghui.org/2007/09/29/mh301814.html 



純粋で清らかな心理状態を持ち、直ちに迫害を終わらせる

 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)純粋で清らかな心理状態の下でやったことこそ最もすばらしくて正しいことであるということを、私たちは大法の学習を通して、すでに分かっていると思います。

 だから、魔難がやってくる時に、その純粋で清らかな第一念は最も重要なのです。車に撥ね飛ばされたとき、邪悪に迫害されたとき、病業に突然見舞われたとき…我々は純粋で清らかな心理状態の下で大法弟子としてのもっとも純正な一念を発したのでしょうか。良し悪しは一念により、その一念によって全く異なる結果をもたらすという説法を師父が説いてくださいましたが、修煉者としては、ぶつかった魔難も人によってそれぞれ違うし、異なる時期の魔難の表現もそれぞれ違います。しかし、関を乗り越えるときに、強大な正念を持たなければならないのは、いつになっても変わらないことです。

 実は7.20前に一部の高度な漸悟状態にある大法弟子がいました。彼らはこの迫害を制止する能力を既に十分に持っているし、旧勢力も彼らを迫害する度胸がありません。それは他ならぬ、彼らは強大な正念と純粋で清らかな心理状態を持っているからです。純粋で清らかな正念はもうかれら自身の世界で旧勢力を全面的に否定し、迫害の発生を押しとどめたのです。

 威徳は消極的に苦難に耐える中で築き上げるのではなく、危難に直面する時、純粋で清らかな心理状態の下で、宇宙を震わせる最も純粋で清らかな一念を発することによって、危難を解体し、最大限に衆生を救い済度することができることによって築き上げられたのです。大道は簡易極まるものです。大法弟子の成熟はどれだけのチラシを配ったとか、どれほどの大法を学んだとかいうところに表れるだけでなく、肝心な時に純粋で清らかな心理状態の下でもっとも純粋で清らかな正念を発することができるかどうかというところにも現れているのです。これこそ師父が望んでおられる、私たちが大法に対して盤石のごとく金剛不動の確信で、新しい宇宙の主と王の威徳と法力なのです。

 車に跳ね飛ばされた瞬間や脳溢血の症状が現れた瞬間に、直ぐに師父や大法、自分が大法弟子であるということを思い出すと同じように、もしこの迫害に直面する時、それは発生すべきではない、直ちに終わらせるべきだという一念を私達全員で発すれば、この迫害も直ちに制止するに違いありません。つまりこの迫害は個人に対する試練ではなく、大法に対する試練です、その邪悪の程度は私たちの想像を上回るもので、それによって、私たちの心理状態が撹乱され、世の人々と私たちの対応する宇宙範囲内の生命にも正念を失わせ、元々救える計りきれない各界の生命をも壊滅されてしまうことになったのです。私たちも迫害を終わらせるチャンスを随分逃してしまったのです。もし、4.25事件の時に全体でこういう一念を発すれば、邪悪がたちまち全滅されたに違いありません。しかし、その時、どれだけの人がこの一念を発したのでしょうか。それに、発したとしても、どれだけの人が純粋で清らかな心理状態の下で発したのでしょうか。一つの関を乗り越えないと、次の関はもっと難しくなるのですから、それはそれからの7.20とそれ以降の迫害がエスカレートした原因なのです。

 師父は私たちのことを叱られることなく、ずっと褒めたり励ましたりしてくださり、また不足も絶えず指摘しておられました。しかし、私たちは自分の未熟さのため大法に多大な損失をもたらしたことがよく分かっているはずです。私たちはまた完全に大法と師父の果てのない法力を確信できず、甚だしいことに、常人に頼んだりもしました。今振り返ってみると、それは病業を乗り越えるときに、医師を望むことと何の区別があるでしょうか。この迫害が発生した根元は正に私たちの不純な心理状態と未熟な行為にあると私は思います。それは脳溢血の症状が現れる時、自分の正しくない考え、一念の差で本当に病気になってしまったことと同じなのです。もし、今私たちが教訓を汲み取り、恨みもなければ執着もなく、自己を放下することができれば、師父が病業を取り除いてくださることと同じように、その迫害も直ちに終わらせることができるのです。たとえまだ存在しているとしても、それは師父が病業を取り除いてくださってからほんのりとした黒い気が立ち上ることと同じように、もっと猛烈で邪悪な試練にはならないと思います。

 この教訓はとても深刻です。しかし、師父が見守ってくださるおかげで、私たちはますます成熟になり、迫害を終わらせるためには旧勢力の按排を全面的に否定しなければならないことも分かるようになりました。それはあたかも病業を全面的に否定することとまったく同じです。生死に関わる病業がやってくる時、ちょっとした疑い、躊躇い、動揺があれば、全く違う結果をもたらすことになるのです。発生すべきではない迫害が発生してしまいましたが、更に大法弟子の困惑と迷いのため情勢がもっと複雑になり、旧勢力への全面的な否定もこれによって妨害されました。

 しかし、今目覚めてもまだ遅くありません。師父は既に神通を開いてくださいました。正念を発するのは邪悪そのものを取り除くだけでなく、私たちの正念を妨げる要素も取り除くのです。真相を伝えることは私たちの未熟と不純によってもたらした結果への一種の救済なのです。

 師父はなぜ迫害を終わらせる重任を私たちに与えてくださったのでしょうか。それはただ迫害の中で真相を伝え、世の人々を救い済度するためだけなのでしょうか。もしこの迫害がなければ、すべては善なる形で解消され、更に多くの衆生が救えるはずです。師父は過程を重視されておられます。それは生命が迷いや困惑から成熟や純粋へ歩む過程、大法によって切り開かれた滅ぼすことも破ることもなく、天体の自己完全な過程です。師父は私たちが自分の道を歩み、そして宇宙の未来を作り上げる大覚者にまで成就することを望んでおられ、その過程を通して選択された生命も未来の宇宙の保証になっているのです。我々はこの迫害を直ちに終わらせることが完全にできるのです。但し、私たちは長期に亘り、その迫害を必然的に現れなければならない一つの修煉過程と見なし、邪悪の出現を認め、ひいては邪悪の按排した所謂試練をも認めてしまい、旧勢力の按排を全面的に否定すると口先で言っても、多かれ少なかれまだ意識していない部分でそれを認めているのです。

 迫害はもう続いてはいけません。多くの損失は実は皆私たちの不純によってもたらしたのです。旧勢力が私たちの頭に無理矢理に焼き付けた暗い影を消さなければなりません。旧勢力は病業と同じように、もし自分の頭に旧勢力のイメージがあれば、それを認めることになります。病気を恐れることは即ち病気を求めることで、迫害を恐れることも即ち迫害を求めることになり、旧勢力を認めることになります。今ますます多くの大法弟子は成熟になり、純粋で清らかな正念を持ってすでに自分の世界で旧勢力を全面的に否定し、迫害を制止して、邪悪に妨害されない環境で更に多くの衆生を救い済度しているのです。

 次元に限られた悟りですが、ご指摘をお願いします。

 2007年9月29日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/25/163289.html

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