日本明慧
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「人心を取り除く鍵は法を学ぶことにある」を論ずる


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)同修の論点はごもっともだと私は思っています。私は自分の歩んできた道を振り返ってみて、よく歩めなかったあらゆるところは確かに、皆根本的に法をよく学ばなかったことがもたらしたのです。ここで、「人心を取り除く鍵は法を学ぶことにある」という文章の補足として、自分の身に起こった二つの例を挙げようと思います。法をよく学ぶことは本当にとても大事なことであり、それは本当に人心を取り除く鍵なのです。

 (一)、約5年前、私は資料点で一緒に資料を作っている同修・甲とトラブルがありました。甲はいつも不満があると、他人に当たり散らしていました。私に当たり散らしたこともあります。修煉者としては、口答えをしてはいけないと分かっているので、口先では何も言い返しませんでした。しかし、それはただ無理に我慢しているだけで、その心をまだ完全に放下していなかったのです。ある日、甲はまた私に当たり散らし、私もやはり我慢して口答えしませんでした。その後、もう1人の同修が来たので、2人で一緒に法を学ぶことにしました。その時、甲は隣の部屋で何かをやっていました。最初のころ、私はなかなか落ち着きませんでしたが、絶えず注意力を強めるに従って、知らず知らずのうちに、法に溶け込み、一気に何講も学びました。学び終わった途端、甲が私たちの部屋に入り、わざと私に向かって、何かのことについて、どうこうしなければならないと言って、とても無理な要求を出しました。しかし、後で自分でも不思議に思いましたが、私は直ぐあっさりと「いいよ」と返事をしたのです。もともと彼は嫌がらせをしようとしていたせいか、この返事を聞くと、意外に思ったようで、暫くそこにぽかんと立っていました。私と一緒に法を学んでいた同修は優しく彼を見つめていました。彼はこの環境に溶け込んで不満がなくなったのか、暫く経って黙って部屋に戻りました。それを見て、私は同修と顔を見合わせて笑いました。法をよく学ぶことはなんと大切なことでしょう!

 (二)、約4年前、私は2カ月くらいで『転法輪』を1回暗誦しました。暗誦する時、新しい法理が絶えず目の前に現れ、私は法理の奥深さに引かれたようで、次から次へと暗誦したのです。その後、何カ月かぶりに2人の同修と出会ったので、自然にお互いにこの間の感想を交流しました。私はちょっと話しただけで、彼女たち2人は口を揃えて、「本当にすごく変わったわ」と言いました。「何が変わったの?」と私が聞き返すと、「随分高まったと思う」とまた口を揃えて返事をしました。実は私は特にはっきりとした感じがなかったのです。しかし、それはきっと法を暗誦したおかげで、よくないものがたくさん取り除かれ、昔より心が清らかになったから、彼女たち2人がそう感じたのだと私は意識しました。落ち着いて法を学ぶこと、よく法を学ぶことは確かにとても重要なことです!

 2007年10月28日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/23/164992.html