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新疆第五刑務所、修煉者に残酷な迫害

(明慧日本)新疆の法輪功修煉者・張順新さんは2002年、新疆第五刑務所に不法監禁されてから、非人道的な迫害を受け続けた。毎日1時間しか睡眠時間を与えられなかった張さんは耐え忍んだ。迫害に参与した服役者らも張さんのことを敬服し、大法を敬服した。2006年8月、張さんは囚人服の着用を拒否したため、独房に監禁され、迫害を強いられた。2007年1月、張さんは法輪功修煉者を専門的に迫害している五監獄へ移送されたが、依然として自分の信念を忠実に守った。

 法輪功修煉者・陳雨江さんは2004年、中共の悪人らによって拘置所に不法監禁、迫害されてから、常に断食をもって自らの権益を主張し、中共に対して解放を求め続けた。同年12月、陳さんは新疆第五刑務所へ移送されて迫害を受けても、相変わらず断食を続け、迫害の制止および無条件による解放を求めた。陳さんは邪悪の如何なる要求に対しても拒否し、いわゆる「転向クラス」にも参加しなかった。悪人らは陳さんの前歯を強制的にこじ開け、灌食を強いたが、陳さんは全く恐れず、機会があれば「法輪大法は素晴らしい」、「自由を返せ」と大声で叫んだ。

 これに対して、悪人らは見境もなく怒り出し、独房に監禁し、陳さんに対して、さらなる残酷な拷問を強いた。陳さんは「トラの椅子」(セメントで出来た丸い腰掛)に処された。陳さんは座らされてから、身動きが出来なくなるように両足を足かせで固定させられた。悪人らは陳さんに対して、冷たい水に硬くなった蒸しパンを灌食した。しかし、陳さんは決して動じなかった。陳さんは毎朝、機会さえあれば、「法輪大法は素晴らしい」と何度も叫んだ。刑務所を出入りする服役者、看守および悪辣な警官らは、陳さんの天まで届く声が聞こえた。

 陳さんは警察に強いられた虐待に耐え忍んだ。事後、陳さんは服役者らに、自分はすでに何度も死ぬ間際だったと語った。2006年、陳さんは五監獄から新しい監獄へさらに移動させられ、悪人らに地下室で迫害された。長期にわたる非人道的な迫害によって、陳さんは空洞性肺結核を患った。しかし、陳さんは未だに残忍な迫害を受け続けている。

 法輪功修煉者・閏偉宏さんは2006年7月、新疆第五刑務所に監禁され迫害を受けたときから、迫害に抗議し、無条件での解放を求め、断食し続けた。閏さんは通じをする度に苦痛に耐え忍んだ。閏さんは常に正念を強くしている。

 法輪功修煉者・張克江さんは2004年、新疆第五刑務所に移送されてから、転向クラスおよび五監区で迫害された時期に苦しみを嘗め尽くしたが、強靭な意志を見せた。

 法輪功修煉者に専門的に迫害を加える者は、張勇軍、李発云(専門科室のリーダ)、王文武(分監区のリーダ)である。

 2005年末、新疆地区関係者らは、国連人権委員会拷問問題の特別調査員が、新疆刑務所に来て視察することを聞き、新疆司法系統は一連の茶番劇を行った。例えば、第五監獄は監房ごとに超過したベッド数を取り外し、服役者全員が床の上で基準に満たした寝床を作った。実際には、監房ごとに10〜20人が詰め込まれており、深刻に超過している状態なのだ。また、中共の言いなりに動く服役者に対して、嘘をつくように訓練した。例えば、毎日十数時間の労働時間を6〜8時間にし、ゴミのような食事を美味しい食事と言わせるなど。さらに、これらの服役者にゲームで練習させ、浮かぬ顔を禁止し、微笑むようにさせた。また、刑期を超過し、事実を訴えたい服役者を十数平米しかない工場の乾燥部屋へ、数十人も移動させた。しかし、第五刑務所は事前に嘘の現場を用意したが、特別調査員は来なかった。受刑者らは全員背後で中共を罵り、悪らつな警察が人を騙す一貫した策略に対して、はっきりと認識した。

 2007年10月29日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/29/165484.html