日本明慧
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常人の仕事に関して最近思ったこと

(日本明慧)私は若い大法弟子ですが、自分の仕事に対して不満に思うことは、最近しばしばあります。社会の中の下っ端の仕事は、なんと大変でしょう。私がやっているような、月給800元(約9500円)のような仕事はたくさんありますが、あまり教育を受けていない人でも1000元以上の仕事に簡単に就くことがあり、嫌になったら変えることもできます。私の仕事はちっとも良くありません。技能を使うように見えてもそうではありませんし、社長がいろいろと指図していて、まるでお金を払ったから何でもやれというような雰囲気です。今の社会では、経済状況が全体的にあまり良くないため、これっぽっちの給料では何もなりません。

 このような考えが浮かんでくるとき、すぐに自分が大法弟子だということに気づくのです。なにしろ、すでに大法が心で芽生えているからです。このとき、私は自分にこう言います。給料はさほど高くないけれど、自由時間がたくさんあるのではないか? 時には法を勉強することだってできるのではないか? 社長から指摘が多いことこそ、心性の試練を与えてくれているのではないか? にもかかわらず、いつも不満を持っていて、何かあったらすぐ仕事を変えようとする自分を恥ずかしく思います。

 最近になって新たに悟ったことがあります。大法弟子が歩む道はすべて師父が按配してくださったものであり、自分の仕事を通じて修煉し、世の人々を救い済度するのですが、にもかかわらず、私は文句ばかり言っています。多くの弟子は常人の仕事において、多少ながらも、さほど高い技能を持っていませんが、私たちは修煉者ですから、万事において法に基づいて考えなければならず、法に基づいて自分を修めなければなりません。名利や待遇、社長云々は二の次です。

 上記の文章は自分の仕事について思ったことで、個人の考えではありますが、若い同修に何か役に立てればと思います。

 2007年10月29日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/10/22/164973.html