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私が湖北獅子山麻薬中毒リハビリセンターと沙洋労働教養所で受けた迫害

(明慧日本)私は宋蓮英と申します。私は、2001年1月1日に上京して、横断幕を開いて法輪功のために陳情したことで、北京の警官に猛烈に殴打され、厚い衣服も破られました。警官は、北京の天安門広場で私を殴った後、北京のある警務室に連行しました。その後、私は服を脱がされ、薄い服しか残っていませんでした。当時は真冬で、零下16まで冷え込んでいたため、私は本当に寒くて苦しかったのです。警官の目的は、私達が彼らに妥協して法輪功の修煉を放棄させることでした。私達がその要求に拒否すると、悪らつな警官は扇風機を持って来て私と同修に向かって吹きつけました。それでも、私達が警官の条件に応じないと、警官は私の手を背中に縛り、数時間も吊り下げました。私の足先は地面から10センチしか離れておらず、両手も痺れて非常に苦しくなりました。

 その後、警官は私を黄岡市第一留置場に送り、3カ月以上も不法に監禁しました。2001年3月、警官は私に対して不法に労働教養1年の判決を下しました。そこで、私は第一留置場から湖北省獅子山麻薬中毒リハビリセンターに送られ、迫害を受けました。労働教養所に入所した時、警官は私達を殴るため、私達に自分が犯人であることを認めるように言いました。私達が、自分は「真・善・忍」を修煉する良い人で、犯人ではないと言った時、警官達は私達を地面に押し付けて3本のスタンガンで電撃し、私達に動くことを禁止しました。警官は、私と同修の口に汚い布を入れ、苦痛の叫び声を出せないようにしました。他に、悪らつな警官は、毎日、麻薬犯に命令して私達の行動を監視させ、理由を見つけて私達を迫害するようにしました。私達を迫害する受刑者は、釈放予定日より早めに監獄から出る事ができるようにしたため、受刑者らは非常に気が狂ったように私達を迫害しました。武漢子獅子山麻薬中毒リハビリセンターで、私と同修は様々な拷問を受けてもその邪悪に屈服しなかったので、悪人達は私達を湖北沙洋労働教養所に移送し、迫害を続けました。

 湖北沙洋労働教養所の警官は、私達の名前を知っていながら聞いてきたので、私達はみな法輪功修煉者だと言いました。すると、警官は凶悪な顔で、スタンガンを持って来て私と同修を電撃しました。私達の口や手は電撃されて泡がたくさん出たばかりでなく、血まで流れ出ました。しかし、私達の心は動揺しませんでした。悪らつな警官らは、私達の意志を崩すため、様々な残酷な方法で迫害を行いました。ある福建省の同修は、法輪功の修煉を放棄しなかったことで、警官に殴打され、歯が2本もなくなりました。

 2007年10月30日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/10/29/165493.html