日本明慧
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忘れられない場面


 文/大陸の大法弟子

(日本明慧)数日前に数人の同修と一緒に師父の「オーストラリア学習者に対する講法」のビデオを見ました。これを見て、修煉においてのたくさんの不足も見えてきました。師父が私たちを加持し、さらに前に押して下さっているとわかりました。大陸の同修にとっては99年から師父の映像が発行されることがなかったので、今回ビデオで師父がかなりお年を召されたように見えました。ある同修が師父の声も以前と違うと話しており、私たちの間ではだれも言葉が出ませんでした。皆は、師父が(私たちのために)あまり多くの精力を費やされているかのように感じました。同修たちよ、これはどういったことなのでしょうか?師父が私たちを修煉させるために、衆生を救済するためにこんなにも神経を使っているのです。師父がこんなにも多くのことを負担して下さっているのです!私たちは更に精進しなくてはいけません。

 ビデオの最後に師父が何回にも渡って私たちが必ず修煉に励むように繰り返されていました。また、講法が終わる寸前にも師父が数回マイクを持ち上げてまたそれを下ろしていましたが、これは私の記憶に鮮明に残りました。師父は、(私たち)弟子が精進するよう言い含めたかったのに違いありません!師父は諦めていないのです!師父は一人の弟子でも落伍させたくないのですが、(自分を含む)私たちはあまりに精進していません。師父は急いでいます!この場面を見てから、私は心が痛くなりした。なぜなら、私たちがあまりにも師父に心配をかけているからです。

 師父よ、(私たち)弟子は、必ず精進します!

 以上は個人のレベルで悟ったところでありますので、不足なところは同修たちの慈悲なる指摘をお願いします。

 2007年10月30日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/10/17/164508.html