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「正念で抜け出す」か、それとも「正念で解体する」か


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)いつも明慧ネットの文章を読む時に、ある同修が正念で「魔窟から抜け出す」と言う言い方を見かけたり、不法に拘禁された同修を正念で加持する時にも「正念で魔窟を抜け出す」と言う言い方を見たりします。

 個人の認識ですが、迫害を認めないからには、更に一歩認識を高めたらどうでしょうか。「魔窟を抜け出す」と言う言い方はやはり邪悪、魔難を大きく見て、自分を小さく見ていると思います。多少なりとも、その迫害を人が人に対して行うものと見なしたから、抜け出そうと思ったのでしょう。

 それに、その中にはやはり人の観念や執着と自我があり、まだ完全に旧勢力の按排を徹底的に否定していないと思います。

 実は「修は己にありて、功は師父にあり」と言うもので、正念を持ち、自分のことを本当の修煉者と見なしさえすれば、後は皆師父がやって下さったのです。全く「抜け出す」必要がありません。師父のお言葉をお借りして言いますと、「弟子の正念足りれば、師に回天の力有り」

 哀(かなしむ)別(なかれ)

 身は臥して牢籠にあれど傷(いた)み哀(かな)しむ別(な)かれ

 正念正行有って法在り

 静かに思う幾多の執着の事

 卻(かえって)心悪き人自ずから敗れる

 『洪吟二』「哀(かなしむ)別(なかれ)」をもって、この文章を終わらせたいです。次元が限られた認識で、同修の皆さんに慈悲なるご叱正をお願いします。

 2007年10月31日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/28/165407.html