日本明慧
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内に向けて探し、自己を修め、全体を圓容する

(明慧日本)我々は大法徒であり、師父の弟子です。師を助けて法を正すことの中で我々はいかに行っているでしょうか、絶えず反省し、不足を探し出し、法を正す過程につかなければなりません。

 険悪な環境の中で、法を正す要求を満たすために、私たちは切磋琢磨して、資料を渡すルートの連絡方法をつくりました。それは大体ブロックやラインの形を採っています。しかし、それらはただ我々が連絡する時に便宜を図るために採った方法に過ぎません。邪悪は最初から我々を一つの全体として見なしています。たとえ大法弟子の誰かがどんなことをよく行わなかったとしても、邪悪はやはり全体として漏れがあると対処しているのです。だから、我々大法弟子全体の中の一人一人の一つのひらめきや一つの考えも皆決定的な作用を果たしているのです。法を正す時期の大法弟子でさえあれば、皆一つの全体として試煉されているのです。我々のどんなプロジェクトでもどんな人でも皆全体に関係しています。我々大法弟子の一人一人の行いは皆全体を表しているし、世の人々の大法に対する態度にも影響を与えているのです。

 我々がトラブルに陥って抜け出せない時、トラブルにより人為的に間隔を形成した時、皆が自分の範囲以外のことやプロジェクトを他人ごとのように思う時、既に我々の全体を人為的に切れ切れにしてしまったのです。さらにもし互いにミスをさせ合えば、また全体としても力を弱めることになります。邪悪は我々が一つの全体を形成することを一番恐れるのです。だから、八方手を尽くし摩擦を生じさせようとしています。

 我々がいろいろなプロジェクトやチームを作るのは他でもなくもっと有効に衆生を救い済度しようとするためです。我々はやはり一つの全体であるべきです。いつでも何処でも法を正す要求に応じて、すぐに全体を形成するようにしなければなりません。こうして初めて、師父の要求と大法の要求に符合するのです。修煉の次元により、確かに法理に対する認識もそれぞれ違います。しかし、それはこれによって全体の力が弱まるのではなく、よく包容し合い、圓容し合うべきです。我々は誰もが、他人のことに対しても自分のことのように関心を寄せ、どんなことに対してもはっきりとした認識を持ち、全体に溶け込んではじめて、さらによく法を正す過程に付いていけるのです。さもなければ、邪悪に妨害されなくても、自分で既に散り散りばらばらになってしまうのです。

 法を正す最後の時期にあたって、我々はお互いに補い合い、圓容し合い、漏れのない全体を形成しなければなりません。将来の宇宙は大法の特性に符合した粒子によって形成されているので、不純な粒子は、入れないのです。だから、我々は自分を厳しく律しなければなりません。我々のどんなプロジェクトでもどんなチームでも、法を正す中で行ったどんなことでも、皆宇宙でもっとも偉大で正しいことです。たとえ自分がそれに参与していなくても、正念を持って対処し、全体を圓容すべきで、それに抵触し、全体の力を弱めるようなことをしてはいけません。

 「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」(『2002年ワシントンDC法会での説法』)。それは世の中で関心を持ち合うことでもないし、常人の団結でもありません。それは宇宙での正の生命として、宇宙の正の要素に対して責任を負う根本的な要求であり、法に対する採るべき態度です。

 師父は2007年8月4日にオーストラリア学習者へ説法される時、我々大法弟子全員に内に向けて探し、善意を持って同修を手伝い、全体としてよく協力して、大法弟子として行うべきことをよく行うように繰り返し教示されました。我々全員はすべての「私」の念を放下し、法を実証することを最も大事な位置におきさえすれば、盤石のごとき確固たる全体を形成することができ、瞬く間に邪悪を解体し、それにより、衆生を救い済度することができるのです。

 2007年11月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/31/165649.html