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黒龍江省佳木斯市:法輪功修煉者・崔勝雲さんが迫害された事実(写真)

(日本明慧)黒龍江省佳木斯市の法輪功修煉者・崔勝雲さんは2007年5月19日、市公安局と安全局により連行され、現在まで精神的、肉体的に二重の迫害を受け深刻な心臓病を患うようになり、刑務所で常に発作を起こしている。身体も非常に衰弱し、歩くことさえ不安な状態である。佳木斯市政法委員会書記・屈振遠、610オフィス主任・劉衍、市公安局政法委員・李樹卿の直接コントロールで、向陽区裁判所は崔さんが根本的に何の罪も犯しておらず、いい人であり、深刻な心臓病を患っている状態で、不法に開廷し、懲役5年を言い渡し、9月17日に判決文を崔さんの手元に送った。崔さんは不法な判決を不服として、規定された期間内に再審理を訴えた。

崔勝雲さん

 今、崔さんは佳木斯市刑務所に監禁されており、身体が極度に衰弱しており、生活が自立できず、数回の家族からの面会要求も拒絶されている。面会はすべて許してはならないという省からの命令による。

 崔勝雲さん(44歳女性)は漢民族。大卒で、元佳木斯市農機職工専門学校の教師だった。1995年末から法輪功を修煉し始め、それ以後、道徳心が著しく向上し、心身が健康になった。

 しかし1999年7月以来、中共と江沢民ごろつき集団が法輪功団体に対して、気が狂ったかのように弾圧と迫害を始めた。1999年10月15日、崔さんは法輪功の為に、北京に陳情に行った時、北京の燕郊で現地の警察に拘束され、佳木斯市刑務所に送還されて監禁された。刑務所で邪悪に妥協せず、保証書を書くことを拒否した理由で6カ月間監禁された。その後、断食で不法監禁に抗議し、命が危なくなり、2000年4月11日午後5時頃、無条件釈放され、当時の責任者・永紅公安分局政保科の石秀文が直接自宅まで送ってきた。崔さんは元の体重65㎏から35㎏に減り、腕が赤く腫れ、皮膚が破れて出血し、身体の数カ所に傷が残ったまま、元の笑顔も消えた。

 2002年12月19日、崔さんは佳木斯市公安局と前進公安分局により、前進公安分局に連行され、同分局の国保大隊長・王化民とその部下らが、当日の午後3時から深夜の1時まで痛めつけた。当時の崔さんは授乳期だったが、邪悪な警官たちはそれを全く無視して、崔さんを椅子に手錠で固定した。手錠はあまりにもきつく締めたため、たちまち腕以下が腫れ始め、青紫色になり、酷い苦痛が始まった。暫くして、全身に痙攣が起こり、口から白い泡が出始め、数回気を失った。すると警官は水をかけて意識を回復させた。警官は大法の師父の肖像を崔さんが座っている椅子におき、強制的にその上に座らせ、又、師父の肖像を床に置いて、強制的に崔さんに踏ませた。深夜1時が過ぎると市公安局国保大隊の指導員・陳万友らは気を失った崔さんを床が泥水だらけの車に乗せて(崔さんが着ていた羽毛ジャケットは脱がせられ、下着のままで泥水の中に倒れた)刑務所に移送し、強制的に収容した。

 刑務所で崔さんの健康は日が経つにつれて悪化し、飲食できず、常に昏迷状態になった。哺乳期の娘は毎日泣きながら母親を呼び、家族は娘を連れて前進公安分局に行って母親を釈放するよう要求した。12月24日、崔さんは危篤状態に陥った状態で、授乳期の理由で公安局から釈放された。家族は王化民に2千元を渡した。

 2003年、崔さんは罪のないままに指名手配され、佳木斯市公安局は料金を払って安全局の者を雇用して崔さんを探し始めた。再びの迫害から逃れる為、崔さんの家族は他所に引越し、長女の学校に影響を与えない為、長女を親戚に預けた。全ての親戚の電話や住宅は安全局により監視されたり、親族は尾行されたりした。また崔さんの元の務め先の上司や同僚も、長女の学校に行って騒いだ。

 数年来、崔さん、家族、友人たちは大きなプレッシャーをかけられ、精神的経済的な損害を受けてきた。2007年5月19日午後2頃、崔さんは、佳木斯市長安社区に住んでいる妹の家から出た直後、尾行していた佳木斯市安全局と佳木斯市公安局の一群により不法に連行された。その後、崔永志、陳万友ら8、9人が車で佳木斯市志興社区にある崔さんが住んでいた家の玄関で待っており、強制的に小さい娘と夫を連行した。不法人員は崔さんの夫のポケットから鍵を探し出し、自宅に侵入して法輪功書籍やパソコンなどを差し押さえた。

 崔勝雲さんと夫は手錠をかけられ、また黒い布で目隠しをされて佳木斯市安全局のある秘密の監禁所に連行された。安全局の陰気で暗い恐ろしい小部屋で崔さんは罵られ、恐喝、殴打、眠らせないなどの迫害を受けた。いためつけられ始めてから数日間、崔さんは食事も出来ない昏迷状態で、5月24日、佳木斯市公安局国保大隊と郊外公安分局に移送された。その後また佳木斯市刑務所に移送された時、危篤状態のため拒絶されたが、佳木斯市公安局の指示で強制的に収容された。救急により目は覚めたが、生活は自立出来ず、20日以上も周りの人の世話により漸く身体が回復し始めた。幼い子への思い、夫が連行される懸念、更に安全局で受けた迫害、恐喝などにより、崔さんは重い心臓病を発症した。現在、崔さんの身体は非常に衰弱しており、刑務所から数回に分けて市公安局、610オフィスに情況を報告したが無視されたままである。

 崔さんの夫は5月31日、家族と善良な人などの多方面の支援により、親族の家に帰ってはいるが、心身の傷は今でも完全に回復せず、まだ完全に自立して、娘2人の日常生活の世話を見ることが出来ず、親族の世話になっている。

 2007年11月4日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/1/165626.html