大法が私に再び生命をくれた
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文/重慶川自動車パーツ加工工場製造主任 阮英傑

(明慧日本)私は阮英傑(50歳女性)です。重慶川自動車パーツ加工工場に勤める製造主任です。私は子供のころからリューマチ関節炎を患い、10歳の時には、寝たきりになる危険性がありました。ベッドの上で9カ月間横たわっていました。優しい両親は私をおぶってあちこちの病院で治療を求めましたが、理想的な効果が得られませんでした。20歳の時には、リューマチ性心臓病も発病し、全身の関節が痛くて、手の指が変形し始め、足が歩けないほど痛み、右手の甲の激痛で夜も眠れなくなり、痛みで泣いてばかりでした。頭も毎日のように痛く、一日三回も服薬し、脆弱な生命を何とか薬で維持している状態でした。身体が弱っているため、二、三日すると風邪をひき、冷水に触れられず、寒さに耐えられず、洗濯もできず、秋になると一足早く冬用の服を着なければならず、冬用の帽子もかぶらなければならなかったのです。冬の季節を先取りする私を、同僚はいつも笑いものにしました。知恵をしぼって名医を求めましたが、病状の好転がなく、病魔が私の体を痛めつけ、仕事をするのも骨が折れる思いで、45歳の時に病気が原因で退職を余儀なくされました。

 1997年3月、私が苦痛に耐えているとき、重慶沙坪ハの十数人の同修が、わが社に洪法に来られ、私は本当に運良く大法と出会ったのです。師父の説法ビデオを見終え、宝の書である『轉法輪』を読み終えた時、私は言葉では表わせないぐらい興奮を覚えました。師父は分かりやすい言葉で、現代科学を用いて人々に高いレベルで修煉する法を説いてくださいました。人類の歴史においても初めて宇宙の謎を明らかにしてくださいました。人に生まれた真の目的は返本帰真であることをも教えてくださいました。高いレベルを目指している修煉者に金色に輝く一本の大道を示してくださいました。修煉者は徳を重んじて善を尽くすこと、常人の執着心である嫉妬心、歓喜心、名利心、他人を虐める心などを取り除き、本をよく読んで心を浄化し、苦の中の苦を嘗め、心性を守り、無茶なことをしてはなりません。さらに利益に対して淡白で、トラブルに遭ったときは内に向けて探すなど、多くの道理を教えてくださいました。私は病気に罹った原因を見つけました。それは迷いの中で人と争ったり戦ったりして、心のバランスを保つことが出来ず、トラブルに遭ったときに我慢しなかったから病気になったのです。

 師父はおしゃいました。「病気の快復、災難の回避、業力の消去などを願う人々は必ず修煉を通じて、『返本帰真』しなければなりません。修煉の各派も、このことについては同じように考えています」。(『轉法輪』)

 私は法理を理解し、宇宙の最高特性である「真・善・忍」に基づいて自分を律し、自分の思想の中の良くない考えを取り除き、常人が求める名利心に対して淡白でなければなりません。嫉妬心、闘争心を取り除き、どんなことでも他人のことを先に考え、利益に対しても淡白になり、性格も良くなり、人を殴ったり罵ったりせず、心性を守ることができるようになり、毎日法の学習や煉功を堅持し、知らず知らずのうちに病気が体から消え去ったのです。今は冷水のシャワーを浴びることができるようになり、冷水を飲むこともできるようになりました。再び病気に罹ったことがなく、冬も冷水のシャワーを浴びることができるようになりました。知人は、私がますます若くなったと言い、私は笑って答えました。「これはすべて大法のおかげです。師父が私に健康な体をくださいました。わたしの心を浄化してくださいました」。

 1997年6月30日の夜のことです、私はベッドで寝ていました。夜9時30分ごろ、突然誰か私の心臓をつかみました。目が覚めた時は痛みで体中汗だくでした。起きてから主人と子供を呼ぼうとしましたが、立とうとした瞬間「ドン」という音がしてベッドに転倒してショック状態に陥りました。私はもう死ぬ、でも死にたくないと思いました。私は師父を思い出し、叫ぼうとしましたが声が出ず、私は心で師父の名前を黙々と呼び続けました。 「李洪志師父! どうぞお助けください」。一回呼ぶと、心臓が少し楽になりました。数回連続して黙々と叫ぼうとした後、心臓が正常に回復して痛みが消えました。なに事もなかったかのようでした。私はすぐに起き、隣の部屋でテレビを見ていた主人と子供に先の出来事を話しました。「先ほど心筋梗塞で死ぬところでした。命が危険な時に師父の名前を呼び続け、師父が助けてくださいました。師父が私に再び生命を下さいました」。その時に私は決めました。今後どんな圧力があろうとも、私は大法を修煉し続けていこうと決心しました。

 1999年7月、中共は庶民の生活を構わず、中華民族の前途をも考えず、白黒を逆にして、法輪功と法輪功修煉者に対する残忍非道で前代未聞な迫害を行い始めたのです。テレビは毎日のように大法を誹謗中傷する内容を放送して人々を欺きました。テレビの宣伝内容が間違っていると私は知っていました。私は、自分自身の体験をもって真実を語ろうと思いました。

 1999年10月、私は陳情のため北京を訪れました、北京の西郊外に着いたとき警察に足止めされ、警官は一人一人に法輪功の修煉者かどうかを聞いていました。私は修煉者だと言うと、その場で収容され、後で地元に送り返され一カ月間拘留されました。家に戻された私は依然として法輪功を修煉し続けました。

 2000年5月13日、私は大足頂宝山に行って久々に同修と交流し、煉功して家に戻って間もないとき、戸籍を管理する警官が家に来てどこに行ったかと聞かれました。私はありのままに話しました。警官に今後も法輪功を修煉し続けるのかと聞かれ、もちろん修煉し続けると答えました。ただの一言だけで不法に一年間の労働教養に処されました。

 労働教養所の中でも依然として法輪功を修煉し続けました、労働教養所の警官が麻薬中毒者を使って殴打し、煉功できないよう監視され、手枷をかけられ、ベッドに固定されたまま寝かされました。私は服従せず、ハンストで抗議しましたが、悪らつな警官に強制的に灌食されました。法輪功を誹謗中傷するビデオを強制的に見せられ、洗脳されました。私はそれでも修煉を放棄しなかったのです、一年の労働教養を終えようとしたとき、労働教養所は私を釈放せず、更に5カ月間延長されました。2001年10月に、やっと彼らは私を釈放しました。

 家に戻った私は、いつものように修煉しました。地元の派出所長・李紅が数回自宅に侵入し、不法に捜査し、法輪功の書籍と煉功音楽テープを持ち去りました。

 2001年11月20日夜、地元の悪人の史パン飛らは家で休んでいる私を無理やりパトカーに押し込み、地元の留置場で一カ月以上閉じ込めました。私は隔離され洗脳教育を受けさせられました。私を監視するため、高い給料を払って3人を雇いました。子供が親を助けたい一心で、私の筆跡を真似して修煉しない保証書を書いて提出したため、2002年7月29日に釈放されました。このほか、1999年11月、私が地元の留置場に拘留された時、無理やり修煉しない偽保証書を所長に書かされたことがあります。これは法輪大法の基準に合わないものと分かっています。その保証書は内心からのものではなく、高圧の下で書いたものであり、すべて無効だと厳正に声明したことがあります。ここでもう一度、私が1999年11月に書いた修煉しない保証書と子供が人を騙すために書いた修煉しない保証書をすべて破棄し、無効とすることを声明します。私の生命は法輪大法が救ってくれました。法輪大法が再び生命をくれました。私は法輪大法の修煉を必要とし、今後も修煉し続けていきたいと思っています。

 
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2004/3/16/70095.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2004/4/2/46656.html)     更新日:2011年12月9日
 
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