悲惨な人生の障害者の女性は、大法修煉で心身に巨大な変化が起きた
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文/山東省法輪功学習者

(明慧日本)

 1.悲惨な人生経歴

 桂花さんは、「三年自然災害」の時期に、ある古い寺の中で生まれた。不幸な運命は彼女の誕生と共にこの世にやって来た。桂花さんの父親は、彼女が生まれる前にこの世を去り、体の弱い母親は、先天的に重い障害のある彼女を生んで、数年後にこの世を去った。家には、桂花さんより4歳年上の兄がいて、彼女は兄と一緒に暮らすことになった。重い障害のため、彼女は動くことが困難で、頭はいつも肩の方に傾いているばかりでなく、口の中はいつもくずれて唾液が流れ、衣服の胸のあたりは一年中ずっと唾液で濡れていた。首は唾液が垂れて腫れて大きくなっていた。また、右腕は曲がって変形し、右指を伸ばすことができず、右脚は自分の意志で動かすことができなくなり、歩くたびに円を一周するようになっていた。桂花さんはひどいびっこで、左脚のくるぶしの骨はいつも右脚に蹴られて血色がはっきりしない状況になっていた。

 また両腿はバランスを保つことができず、数歩歩くと一回倒れていた。彼女は転んで顔に怪我をして、ひどい時は歩くことができず地面を這うようしていた。また、尿と便もコントロールすることができず、桂花さんは汚くて濡れたズボンを穿いていたが、可哀相な彼女を村の子供達は殴ったり叱ったりした。もっと酷いことは、大人まで彼女のことを笑ったりしたことである。日頃、兄妹は食物と衣類の少ない日々を過ごしていた。やっと兄が結婚し、兄嫁が来て、家にやっと活気があるようになった。しかし、不幸な運命は桂花さんの所にやって来た。結婚してしばらく経つと、兄嫁は桂花さんを厄介者として扱い、いつも叱ったり殴ったり白い眼で見たりして、また、いつもご飯をくれなかった。最後に、人心を失った兄と兄嫁は彼女を小部屋に監禁し、数日間もご飯をくれなかった。善良な隣人がこのことを発見したので、彼女は逃げ出すことができた。

 桂花さんは、19歳の時、人の紹介で近くの村の自分より20歳以上も年上の男性と結婚した。やっと自分の家ができて、桂花さんの心は少し落ち着くようになった。しかし、安心は短い時間で終わり、結婚して6日目に、夫は彼女を殴った。桂花さんは、涙を流しながら、我慢と自分の努力で、時間が経てば情が出て、夫も自分に優しくすると思った。しかし、桂花さんの考え方は間違っていた。彼女が結婚して家に入った時点で、姑は彼女のことを嫌がっていて、いつも小さな事に口を出して叱った。ある秋の日、桂花さんが碾き臼を回していたとき(農村で精米する古い方式)、右腿と右手が不便で、左手とお腹で磨き棒を押しながら米を磨いでいた。歩く事も困難な状況下で、回りながら力を入れて仕事をしていた彼女は、不注意で磨き棒の片方の端を上げてしまい、米を地面に散らしてしまった。それを見た姑は、手を出して彼女の頭や顔を殴ったので、桂花さんは涙を飲むしかなかった。家でご飯は姑が作っていたが、姑はいつも2種類のご飯を作って、自分と息子は良い物や新しい物を食べて、彼女には悪い物や残った物を食べさせた。

 桂花さんが妊娠8カ月の時、夫はある小さな事で気が狂ったように彼女を殴った。それで、彼女は大量に出血して、お腹の赤ちゃんは非常に危険な状態であったが、意地悪い夫は彼女を病院に送らなかった。しかし、母子は奇跡的に生きることができた。出産の前日も、姑は彼女を畑にやって仕事をさせた。子供を生む時、夫は傍にいなかったが、姑はわざと町に行って遊んでいたので、村中の数人の善良なお婆さん達が来て、出産を助けた。幸いなことに、母子ともに無事だった。夫は、彼女が男の子を生んだのを見て、態度が少し良くなったという。

 ある冬の日、子供がまだおっぱいを飲んでいて、夫が外から家に帰ったばかりの時、姑は桂花さんが不倫をしていると、夫に嘘を付いた。何の証拠もない情況下で、夫は桂花さんを強打した。いつも虐められていた桂花さんは、本当に絶望してしまった。肉体上の苦痛と精神上の虐めは、桂花さんに自分がこの世から捨てられたと思う程で、自分の存在がこの世の間違いだと思うぐらいに感じた。桂花さんにとって、この世界で息子を除いて、本当に気にかけるものはなかったのである。そこで、桂花さんは、抱っこしている息子の顔に唇を触れた後、瓶の半分の毒薬を飲んだ。お酒が毒薬の拡散を加速化させるということをどこかで聞いた桂花さんは、お酒も飲んで自分が早く死ぬことを待っていた。

 しかし、死ぬ運命でなかった桂花さんは、数日間の救急で生きることができた。このようなことがあっても、桂花さんの死のうとした決心は変わらず、2回目は井戸に飛び込み、3回目は河に飛び込んだが、全部、善良な人に救われた。桂花さんにとって不思議に思うことは、「生きることは難しいが、なぜ、死ぬこともこんなに難しいのか」ということであった。4回目に、彼女は村から離れた栗の林で、縄で首を吊って死のうと思い、首を縄に入れようとする時に、どこからか老人が来て彼女の縄を奪った。しかし、彼女のこのような自殺行為に対して、夫はその行為を止めなかった。そこで、夫が再び強打した後、忍ぶことができなくなった桂花さんは、家から出て現地のある福利工場に行って、工場のリーダーに自分の悲惨な遭遇を泣きながら言い、自分に仕事をさせてくれるように頼んだ。優しいリーダーは、その場で彼女の要求に応じて、工場内の掃除の仕事を彼女に任せた。また、彼女の住む寮も按配してくれた。家から出て3日目に、桂花さんが家に帰って布団を持っていこうとしたが、夫はそれを許さなかった。桂花さんは、自分が仕事をしたお金で返すからと言いながら、自分が行かないとどうやってお金をもらうのかと言ったら、夫はやっと同意した。

 2.法輪功を修煉して、人性が変った

 1996年の冬、桂花さんと一緒に仕事をしていた同僚が、法輪功を彼女に紹介した。桂花さんは、その場で法輪功を勉強し始めたが、それが彼女の運命を変えるとは、夢にも思わなかった。右半身に重い障害がある桂花さんにとって、煉功することは非常に困難であったが、彼女は一切動揺せず続けて煉功した。桂花さんが第3番目の功法を煉功する時、右手の腕が暖かい大きな手で握られているように感じた。また、その大きな手が右手を上に引っ張り上げ、右腕も暖かくて気持ち良くなっていることを感じた。桂花さんが頭頂抱輪をする時、強烈なエネルギ−流が両腕の上で流動していることを感じ、30分経っても障害のある右腕が疲れを感じないことに気付いた。また、師父の講法録音を聞く時、自分の皮膚の下で、無数の物が動いて、全身が熱く、口の中では虫が一杯這っていて、非常に痒いと感じた。桂花さんは、慈悲な師父が自分の身体を調整して下さることが分かった。その後、桂花さんの口の中の崩れてただれた肉は良くなり、唾液も流さなくなったばかりでなく、頭もまっすぐになって、肩の方に傾かないようになっていた。

 法輪功を修煉して2カ月も経っていないある日、桂花さんの隣人の家で火事が起きたが、桂花さんは何も考えず、自分が障害者であることも忘れて、両手で水が一杯入っている大きなバケツを二つ持って走って火事の現場に行き、バケツの水を火に掛けた。火事現場の人々は驚いて、「桂花! 君は2杯の水を持ち上げたよ」、「腕は良くなったのか? 脚も走れるの? 一体どういうこと?」と言った。桂花さんも、自分のずっと曲がっていた腕がまっすぐに伸びていることや、右腿も動くようになったことに気付いて、感謝の気持ちで半日も言葉を口に出すことができなかった。本当に自分の身に奇跡が起きるとは思わなかった桂花さんであった。

 その後、地元の輔導煉功点が学法と交流をする時、輔導員は彼女に自分が法輪功を修煉してから起きた心身上の巨大な変化を発言するように薦めた。桂花さんは、発言する時、まっすぐ伸ばすことができた腕を皆に見せたが、右手の3本の指はまだ開くことができない状態であった。そこで、輔導員は彼女の手を指差しながら、「開いて」と言った。桂花さんはちょっと困った顔をしていたが、輔導員が「開いて」と再び言った。輔導員が3回目にその言葉を言った時、桂花さんは目が覚めたように、その言葉を理解し、張りのある声で応じながら、ゆっくりと36年間も開かなかった指を開いた。その場にいた法輪功修煉者達は、自分の目でその奇跡を見て、心から法輪功の威力に震撼し、沢山の拍手をした。桂花さんは、36年間も自分を身体上と精神上で苦しめた病気が、奇跡のように治ったことに感動して涙を流した。その涙は、幸福の涙であり、感激の涙でもあった。その時の桂花さんの気持ちは、世の中のどんな綺麗な言葉でも、師父に対しての感謝を表すことができないぐらいだった。

 桂花さんは本当に生まれ変わった。身体が完全に健康になったばかりでなく、精神的にも明るくなったのである。また、自分がなぜこのような大きい苦難を受けなければならなかったかが分かるようになり、人生の中で求めようとしていた様々な疑問が解けるようになった。桂花さんは、「真・善・忍」の基準で自分を厳しく要求し、物事を考える時、いつも他人のことを先に考えるようになった。家で、桂花さんは以前のことを忘れて、慈悲の心で年老いた姑の面倒を見たばかりでなく、広い心で勝手気ままに振る舞う夫と仲良く生活し、子供の面倒も優しく見た。また、家の中と外も綺麗に片付けたので、夫とお婆さんの態度もずいぶん変わった。健康で明るくなった桂花さんは、数年間会っていない兄と兄嫁に会うため、実家に戻った。結婚して一回も実家の村に帰らなかった桂花さんが村に入る時、遠い所から、「あの人、桂花じゃない? でも、似ていないな?」と言う声と、「桂花のはずがないじゃない。あんなに障害がひどかったから、もう死んだかも知れない」と言う声が聞こえた。実家の人は、本当に桂花さんであることを確認して、驚いて唖然としていた。

 勤め先で、桂花さんは、朝早くから夜遅くまで、一生懸命仕事をしながら、厳しく自分に要求した。ある日、自転車に乗って通勤中、桂花さんは50元を拾った。困難な生活をしている桂花さんであったが、修煉者として他人の物を盗ってはいけないことを悟り、お金を落とした人がきっと焦ることを考え、拾ったお金を工場の事務室に渡した。そこで、工場では、赤い紙に彼女を褒める通知を書いた。桂花さんは、すぐ責任者を訪ねて、自分が法輪功を修煉していたからこそ、このような事をしたと説明した。そこで、一緒に仕事をしている同僚達は彼女を尊敬するようになった。

 1998年、福利工場は人員を削減し、桂花さんも退職することになった。姑が老年痴呆症に掛かったので、桂花さんは生活が自立できない姑の面倒を見なければならなかった。心優しい桂花さんは、隣の孤独な老人の面倒も見てあげた。彼女は、美味しい物を買ったら自分が食べずに、姑・夫・子供・隣の老人に一つずつ上げ、自分はまずい物を食べた。隣の老人がこの世を去った後、80歳ぐらいの老年夫婦が引越して来て、その部屋で住むことになった。2人の老人の面倒を見る人がいないことを見て、心優しい桂花さんは、水を汲んであげる、食事を作ってあげる、洗濯をしてあげる等様々な面で、本当の娘よりも優しく面倒を見てあげた。桂花さんは、老人夫婦がこの世を去るまでずっと面倒を見てあげたのである。元々貧乏であった桂花さんの家は、姑の病気の治療や夫の病気の治療で、借金が一杯あった。この借金を返すため、彼女は9ムーの土地(4ムー半は栗の林で、4ムー半は農地)と2ムーの野菜園を借りて、野菜を植えた。また、製粉所も借りて、1人で数人分の仕事をした。法輪功の超常的な現象は彼女の身体に現れ、毎日、数人分の仕事をしても、夜は相変わらず家で学法や煉功ができるようになり、翌日はまた元気よく忙しい仕事ができるようになった。もっと不思議なことは、ある日、師父の講法テープを聴いた後に川辺に行って、薪を拾おうとする時のことであるが、テープレコーダーを止めてコンセントを抜いて、川辺で薪を拾う間、ずっと師父の講法の声が耳元に聞こえたというのである。

 1999年、凶悪な中国共産党が法輪功を不法に迫害してから、桂花さんは派出所の警官が見張る対象になった。警官は、彼女を脅迫したり、家を不法に捜査したりしたが、心が強い桂花さんは、法輪功の修煉を続けた。警官が「法輪功の良さは、どこにある?」と聞いた時、桂花さんが「法輪功を修煉したからこそ、私は障害者から健康な人になって、仕事を一杯することができました。見てください。現在、私は頭もまっすぐになって、腕も動けるようになりました。また、脚もびっこを引かないで、唾液も流さないです。法輪功は、どこが悪いですか?」と聞いたので、警官は答えることができなくなった。しかし、数回彼女の家に来て邪魔したので、桂花さんは法輪功を修煉してからの自分の心身上の巨大な変化を伝え、正念正行で警官に抗議した。そこで、警官は再び彼女の家に来て邪魔をすることはなかった。

 現在も、桂花さんは自分の経歴で、周りの人々に法輪功の真相を伝え、悪人達の不法な迫害を暴露している。彼女は、自分の心身上の巨大な変化が一番良い真象であることを知っていた。彼女は、もっと大勢の人々が自分の物語を知り、済度できるようになることを望んでいる。

 

 
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2003/12/28/63492.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2004/1/19/44229.html)     更新日:2011年12月9日
 
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