日本明慧
■印刷版   

湖南省長沙の法輪功修煉者・熊金沢さんが行方不明

(日本明慧)10月31日、湖南省長沙の法輪功修煉者・熊金沢さんは仕事で外出したまま、行方不明になり、家族が携帯電話にかけても出ない状態になっている。妻は1歳11ヶ月の子供を抱いて、探し回っているが、現在まで音信がないままである。

 熊金沢さんは優しい人であり、他人に対して誠実で礼儀正しく、他人から恨みを買ったりした事もなかったので、彼の原因不明な失踪について家族は、彼の私生活を侵害し続けてきた長沙市「610弁公室」及び公安、国安部門が関連していると推測している。

 熊金沢さん(35歳男性)は、長沙市天心区の住民である。1999年7月に江沢民集団が法輪功に対して弾圧を開始して以来、熊金沢さんと家族は想像も出来ない苦しみに遭遇させられてきた。「真、善、忍」の法輪功の信念を堅持し、民衆に真相を説明したことが理由で、熊金沢さんは前後3回不法に監禁された。

 次々の迫害

 1999年7、8月ごろ、当時両親と天心区井湾子付近に同居していた熊金沢さんは、現地の公安に連行されて刑務所に数日間、不法監禁された。1999年10月、北京に陳情をしに行き、帰ってから不法に労働教養を言い渡され、長沙市新開鋪労働教養所に監禁された。

 労働教養所で、熊金沢さんは残虐な肉体的苦痛と種々の精神的迫害を受けた。強制的に法輪功をやめさせるため、2002年3月13日から20日までの7日間、警察は熊金沢さんを小室(約2×1×2メートル、2重鉄門、セメントベット1式、トイレ穴、蛇口1個で飲、食、住、排便など全部を室内で行う)に監禁し、強制的に拘束衣を着させ、厚く重いヘルメットを被らせ、両手を交差して胸前に絞りつけの状態にした。ヘルメットを被ると口を開けて呼吸するしかなく、胸圧迫感があり、頭が重く、全身の力が抜けて動けなくなる。さらに麻薬患者の労働教養者2人手配して24時間監視し、たびたび人身の侮辱と精神的苦痛を与えさせられた。7日後、小室から出された。悪らつな警官によると、今まで小室の中で3日を耐え抜いた例はないと言う。

 2005年12月20日、熊金沢さんは芙蓉苑団地の装飾現場で三度目に連行をされた。当時、大勢の人の目の前で、天心区公安分局国保大隊の者は公然と熊金沢さんを投げ倒し、黒袋を頭に被らせ、まるで暴力団のように誘拐した。警察の連行に対して熊金沢さんは恐れもせず、ずっと「法輪大法は素晴らしい」と叫び、周りの人たちを驚嘆させた。警察はまた、熊金沢さんが持っていた現金1万元、4千元に上る装飾材料と軽トラックを略奪した。熊金沢さんの事務室と自宅も差し押さえられ、現金6千元とパソコンなど高価な品物を奪い去った。その後、国保大隊の警察は、熊金沢さんを長沙市第一留置場に監禁して迫害を継続した。信仰の自由を踏みつけ、無理に迫害を続ける中共の警察を制止させるため、熊金沢さんは断食抗議を行うしかなく、連続15日間断食し、危篤に陥った状況で、警察はようやく家族に通知し、自宅に引き取らせるようにした。

 不思議な交通事故

 しかし、中共が全世界の正義の声を顧みず、法輪功への迫害を独断専行する悪らつな政策下で、一部の悪人と悪らつな勢力は迫害を止めず、公開あるいは密かに熊金沢さんを迫害する機会を狙ってきた。

 2006年、8月16日の午前0時25分、熊金沢さんの自宅近くの長沙南駅貨物輸送駅内で不思議な交通事故が発生し、その場で一人が死亡、一人が怪我をした。死者は妻の叔母で、負傷者は7歳の長女だった。叔母は衝突した瞬間、懐中の子供を力づくで押し出し、砂山の上に投げ飛ばした。長女は4本の肋骨が折れ、全身傷だらけになった。妻は衝突を避けたため、怪我はなかった。事故を起こした車はすぐに逃げていった。

 2007年11月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/15/166583.html