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成熟と未熟に雲泥の差がある

(明慧日本)2007年9月12日の昼食後、私はグループでの学法に出掛けなければいけないのですが、買ってきた南京豆を外に干していたため、雨が降ったら大変だと思い、それをしまおうと思いました。しかし、それを全部しまっていると1時からの学法時間に間に合わないので、やはり、しまわずに出掛けることにしました。

 学法の途中、雷が鳴り、雨が降ってきそうな空模様になりました。私は「雨が降っても別にかまわない、学法の方がそれよりもっと大事なのだから・・たかが10何キロの南京豆じゃないか」と思いました。同修も「南京豆は殻があるから、大丈夫」と言いました。話をしているうちに、大雨が降り出しました。

 学法が終わったころ、雨も小降りになって、だんだん止んできました。私達は各自家に帰りました。帰宅してから、外に干しておいた南京豆を見ると、その中に殻が黒くなっているのがありましたので、それを取り除いて床に敷いて干しました。翌日、私は黒くて悪くなった南京豆を手に取ってみると、悪い方は皆変色して、未熟で凹んでいますが、実った方の南京豆は皆ふっくらとしていて、変色していないのが一目瞭然です。

 私はそれを見て、思わず私達の修煉のことを思い出しました。もし、私達の修煉が、最後になってもやはり未熟で、圓満成就にまで修められないとは、どんな有様なのでしょうか? もし、修煉していても精進できず、何かがあれば、すぐに恐れてしまい、嵐に耐えられないのであれば、これらの南京豆のように取り除かれて、淘汰されることになるのではありませんか? それはなんと危険なことでしょう!

 このことから私も法理が分かるようになったのです。つまり如何なる事に対しても虚像に惑わされてはならず、いざという時にはっきりと認識できなければ、困惑する可能性があるのです。修煉は実に厳粛なことで、疎かにしたり怠ったりしてはいけません。私たちは精進して確実に修め成熟して、始めていかなる困難に直面しても恐れず、不動な強い正念を持って邪悪を取り除き、師父の要求を圓容することができるのです。成熟と未熟に実は雲泥の差が有り、まったく違った結果をもたらすのです。

 以上、正しくないところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。

 2007年11月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/18/166777.html