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自分を法の中に置くのか、それとも人の中に置くのか


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)自分を法の中に置くのか、それとも人の中に置くのか、これは極めて簡単な質問のようですが、表面上私たちは皆自分を法の中に置くべきだと分かっています。しかし、よく考えてみると、ここ十何年来、一体私たちはどのくらい自分を法の中に置いたのでしょうか?

 迫害に反対する8年余りの間、私たちはどれほど傷付けられたのか、それはもう数え切れません。どのくらいやってはいけないことをやってしまったのか、それも恥ずかしくて言いづらいでしょう。なぜこんなに多くの損失を受けたのでしょうか。その根本的な原因は他ならぬ自分を常に法の中に置いていないからです。

 今、法を正すことは新しい段階に入り、過ぎ去ったことはもう挽回できません。最後に残った時間は余りありませんが、まだこんなに多くの世の人々は、救い済度されるのを待っているのです。この任務を全うできるかどうか、これは一番大事なことだと思います。

 それでは、どのようにすれば、最後のこの事をよく行えるのでしょうか。次にいくつかの要点があると思います。

 1、重荷を下ろすこと。昔はよく行ったかどうかに関わらず、全部過ぎ去ったのです。法を正すことがまだ終わっていないならば、それはチャンスです。だから、よく行ったら、更によく行うべきであり、よく行わなかったら、改めてよく行うべきです。

 2、自分を完全に法に溶け込ませるようにすること。一つの考えや一つの閃きが法に符合するかどうかを注意し、四六時中、法に自分を溶け込ませるように要求します。

 真相をはっきり伝えさえすれば行えること。いつでもどこでもどんな人に対してもチャンスがあれば、躊躇せず恐れずに大法弟子らしく真相を伝えるようにします。

 今の世の人々はどんどん目覚めるようになり、皆救い済度されることを待っているのです。中にはまだ私たちのことを理解していない人がいるのも、旧勢力の作り上げたこの環境のせいです。それに、世の人々はこの環境を変える力もありません。この環境を打ち破ることができるのは私たち大法弟子しかいません。われわれが前史(人間界に来る前)の使命を完成することができるかどうかは、あくまでも我々が自分を法に溶け込ませるかどうか、師父の要求されたとおり、慈悲をももって衆生を救い済度するかどうか次第なのです。

 2007年11月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/18/166629.html