■日本明慧 http://jp.minghui.org/2007/12/01/mh021453.html 



河北廊坊:法輪功修煉者・蘇瑞先さんが迫害されて死亡

(日本明慧)河北廊坊市の法輪功修煉者・蘇瑞先さんは、中共政権の8年にも及ぶ迫害のもと、不法な3年間の労働教養により生活と労働の権利を剥奪され、冤罪が晴れないまま2007年11月9日にこの世を去った。享年57歳。

 1999年7月20日から江沢民のごろつき政権が、法輪功の迫害を開始以降、蘇瑞先さん一家は、一日として安穏な日を過ごしたことがない。蘇瑞先さんは、憲法の公民に与えられている信仰の自由の権利を放棄しないため、中共政権に党籍・幹部・公職を剥奪され、不法に3年の労働教養を強いられ、不法に河北高陽労働教養所に拘禁されていた。

 2000年4月のある日の昼ごろ、通信会社の保衛科と関連部門の数人は、蘇瑞先さん一家が食事中、家に突入して法輪功を放棄する保証書を書かせるために、蘇瑞先さん夫婦を会社まで強制連行した。その時、警官がいて記録をした。蘇瑞先さん夫婦が保証書にサインしないため、当日の午後、廊坊留置場に送られて不法に1カ月拘禁された。

 その後、同年10月に、蘇瑞先さん夫婦は北京へ陳情に行った。その時また捕らえられ、不法に1カ月拘禁された。その1カ月後、さらに、蘇瑞先さんは不法に3年の労働教養を科されたのである。

 3年の労働教養期間中、蘇瑞先さんはどんな残虐な拷問を受けても、自分の信条を放棄することはなかった。「真・善・忍」の基準に従い、よい人になることを目指す事は、正しいことであり間違いのないことだと悟っていたからである。そのため、彼は手錠をはめられたまま独房に2カ月禁足された。警官にスタンガンで電撃されたこともある。ある日、蘇瑞先さんは直径約10センチメートルの太いナイロンの縄で数十回警官にはたかれ、臀部が黒い紫色になった。その後、さらに迫害されたため、足に数カ所の膿腫ができて非常に苦しんだ。

 2001年、蘇瑞先さん夫婦の属する通信会社の一部の指導者は江沢民政権に従い、積極的に会社の法輪功修煉者を迫害し、洗脳クラスを作った。蘇さんの妻は邪悪な洗脳の迫害を拒絶するため、しかたなく家を離れた。廊坊市公安局と通信会社の警備員は蘇さんの妻の実家に探しに行ったことがあり、蘇さんの娘を説得して蘇さんの妻の居場所を聞いたり、また蘇さんの妻の弟を廊坊に強制連行したり、高陽労働教養所に拘禁されている蘇さんに、聞きに行ったりしたこともある。

 蘇瑞先さんが不法に労働教養された時、妻は家を離れ、家には20歳の娘が独りでいた。娘は両親のいない苦痛に耐えながら、警官らによる、私生活の侵害と恐喝の圧力を我慢しなければならなかった。 

 2002年10月前、警官らはまた蘇さんの家に侵入して騒ぎたて、勝手に個人の郵便物と身分証を奪い、また娘に母の行方を言うように迫った。娘は知らないので、警官らは娘を数日間連続で公安局に取り調べに行かせ、午前に行って午後帰らせていた。警官らは娘に家の鍵を求めたが、娘が渡さないため、びんたを加えて蹴ったりしたこともある。

 蘇瑞先さんは、2003年に労働教養所から帰った後、死に至るまでの数年間、特に取締りが厳しい時には、常に警官らの様々な侵害を受けていた。時には電話で、時にはドアをたたかれドアを打たれた。蘇さんはそのように長期にわたる恐怖の中で、巨大な精神的圧力を受けただけでなく、さらに経済的圧力にも耐えなければならなかった。蘇さん夫婦は、8年間も収入源を奪い取られたために、奥さんには毎月500元の生活費だけを渡した。蘇さんは常に家を離れた妻の安否を心配していた。蘇さんは長期間、迫害されて精神を抑圧されていたため、突然、体の調子が悪くなり、11月9日に冤罪が晴れないまま死亡した。

 2007年12月1日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/29/167392.html

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