無病息災とは本当に素晴らしい感覚!
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文/章 冬

(明慧日本)1999年4月25日の数日前に初めて煉功しました。法を正す流れに追いつくことは容易なことではありませんでした。一歩一歩進んでいく助けをしてくれた師父の懇切丁寧な心遣いなしでは、とてもできなかったことでしょう。学生の頃、求道心を重んじ、武術や気功に大変感心を抱いていました。時間と精力を注ぎ込み、耐えまぬ努力をしたにも拘わらず、適切な指導がなくカンフー技能は伸びず、逆に気の乱れと高まる闘争心に悩まされました。

 真に息詰まっって初めて、自分の運命が目に見えない力でコントロールされていることに気付きました。頭痛、胸の痛み、腰痛、呼吸器官上部の痛み、関節炎、10日ごとに患う風邪の症状など、体全体が病み、実に苦しい生活を強いられていました。家で最も近しい所はベッドであり、最も頻繁に行く場所は薬局でした。常に3〜4種類の薬を携帯していました。漢方の調薬通になり、少し口に含んだだけで名前が言えるほどでした。妻は私のことを「漢方薬局にとって特上のお客さん」と呼んでいました。朝、窓を開けると、私の寝息でこもった部屋の漢方臭さを感じました。

 毎日の服用薬には、炎症抑制剤、解熱剤、解毒剤、除熱剤、睡眠薬、強壮薬などが含まれていました。また、伝統的な吸角法(体表に血液やうみをグラスで吸い寄せ放血する治療法)も、胸、背中、腰、こめかみに施しました。大小のガラスのコップが体表に並ぶ光景はちょっとしたものでした。年間を通して治療が必要な私のような患者は誰が面倒をみてくれるでしょうか? 自分でやるしかありませんでした。時には、背中や腰に大きな水ぶくれができ、衣服が破れた皮膚の部分に触れると焼けるような痛みを感じました。

 これら全ての病に加え、私は怒りっぽい性格でもありました。怒った時は妻を罵り、子供を叩き、ひどい思いをさせていました。家族は私に対して、憎しみ、恐れ、愛情の入り混じった気持ちを抱いていました。病気の時は特に怒りやすい状態でした。

 また、心の底から口では表現できないほど故郷を恋しく思い、頻繁に孤独と不安に襲われました。ベッドに横たわって子供の頃のことを思い、当時食べたご飯をなつかしがりました。しかし故郷を訪れても、妻や子と話しても、私の孤独と不安は解消されませんでした。子供はただ遊ぶことだけに感心があるようでした。今の状態から抜け出る糸口が全くみつからず、多くの病を患う惨めさに加え、悲しくむなしい気持ちにさせられました。

 精力的な人を羨ましく思いました。夜早く床に就き朝遅く起きても、私のエネルギーは、一日せいぜい5〜6時間しか保てませんでした。汗をかきながらも寒さを感じました。2枚の毛布は汗びっしょりなのに、寒さで震えていました。法輪功の修煉を始める少し前、藁をもつかむ気持ちで、憑き物にとりつかれた人の助けを求めました。今振り返ると、彼女は低い空間の精霊にとりつかれていた人だと判断できます。自分は「なんとか仏」であり右に出るものはいないと法螺を吹き、治療中は自分で何を言っているかを覚えていないので、注意深く聴くようにと事前に忠告されました。治療の後、いつも具合が悪くなるとのことで、私に彼女の治療を手伝って欲しいような暗示さえありました。嫌悪感、恐怖心、反感を覚えました。不思議なことに、他の人の脈はとっても、私の脈は何度頼んでもとってもらえませんでした。脈をとらずにどうやって私を診断するのだろうかと思っていると、やっと15枚の紅い布に不可解なシンボルを書き出しました。150元(都会の中国人の一週間の平均給与)をドブに捨てたような経験でした。

 実は『転法輪』は一年近く棚に置かれていましたが、読み終えていませんでした。修煉となると更に怠っていました。この年はお金を稼ぐことに忙しかったのです。やむにやまれず、気功をもう一度試してみることにしましたが、煉功は効果的な気功の練習くらいにしか考えていませんでした。しかし法輪功の紹介者は、動作を教える前に、まず本を読むことを私に勧めました。家の近くで煉功しているグループもなく、修煉を始めることは先送りにされました。本に目を通そうとしましたが、呼吸法や意念の集中などの仕方の説明は見当たりませんでした。独学で学ぶものではないのだろうとは思いましたが、本を読むことは心地よく、体がリラックスしました。セクション毎に読まず、感心のある項目、意味をなす項目だけを拾い読みしました。ある部分には賛同し、ある部分は理解できず、またある部分は信じることができませんでした。でも、本を読むことは心地よく、一度に数ページずつページをめくっていきました。ある日、偶然にも同僚が法輪功の煉功場が自分の家の近くにあると言って、抱輪(第二式の功法)の動作を見せてくれました。家に帰ってから試してみたら、とても強い感覚を受けましたが、胸が苦しくなり手を下ろさなければなりませんでした。翌日、煉功場をみつけ、煉功を学び始めました。数日で体の調子が好転しました。また師父の講義の録画の一つも見て、とても強いエネルギーを感じました。師父が何を話されたのかは覚えていません。当時、意味が分からなかったこともありましたが、講義が始まってすぐ眠りについてしまったことも原因です。講義の終わりまで、折々眠っていました。とても心地よい気持ちでした。今になって、そのとき体の調整がはかられていたことが分かりました。

 それ以来、法輪功の本当の良さが分かるようになりました。無病息災とはなんと素晴らしい感覚でしょう! 心底から感じた故郷を恋しく思う淋しい気持ちは完全に消えました。妻を罵ったり子供を叩いたりすることもしていません。

 
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2002/12/7/40552.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2002/12/17/29824.html)     更新日:2011年12月9日
 
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