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三つのことをしっかり行うことが最も重要である

(明慧日本)最近同修と交流するとき、このような話をよく耳にします。「ある同修は法輪功のために何万元も寄付したとか、ある同修は全部で何枚の真相資料を配布した」など。つまりこれらの同修は非常にえらいので、彼らを見本にすべきだと認識されているようです。この問題について自分の見解を皆さんと交流したいと思います。

 もし一部の同修が、いくら寄付したのか、どれほどの真相資料を配布したのかを修煉の円満成就の条件とすれば、それこそ大いに間違っています。神聖な佛の果位をお金で買うことができるのでしょうか? できません。決してできません。資料をたくさん配布したこと、大法のためにしたことは、すべてあなた自分自身のためにしのであって、他人のためにしたことは何一つありません。私たちは大法のために何かをするとき、掛け合うことは許されるのでしょうか? これは非常に良くない人心だと思います。師父は衆生を救い済度するために、どれほど大きな心血を注がれたことでしょう。それに比べて私たちがしたことは、なんと小さいことでしょう。しかし私たちは師父の弟子であり、良くできなければどうして師父の弟子と自称できましょうか?

 私はこれまで修煉が良くできておらず、大法のために何かをすることを修煉だと勘違いし、資料作りに寄付することを非常に重要なことだと思っていました。しかし、それでは基点が違うことになります。私たちは大法の一粒子であり、大法のために何かをするのは、まるで自分のために何かをすることになります。まさにご飯を食べることや、水を飲むことと同じようで、誰も自分がご飯を食べることと掛け合いはしません。おなかがすいたら食べる、こんなに簡単なことです。ですから今後、私たち大法弟子が大法のために何かをするときも、基点を正しくしなければなりません。私たちは修煉の道を歩めば、もはや他の選択は残されていません。私たちは必ず正念をもって正しく行い、三つのことをしっかり行わなければなりません。すべてはそこにあるのです。

 個人の認識に過ぎませんので、間違いがあればご指摘お願いします。

 2007年12月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/12/22/168824.html