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向中瑤さんは重慶の女子刑務所まで強制連行され、体が非常に衰弱している

(明慧日本)2007年1月17日、重慶の法輪功修煉者・向中瑤さんは、重慶の警官に強制連行された後、重慶永川の女子刑務所で半年間迫害され、4回病院に送り込まれて緊急措置を取った。監獄側は更に向中瑤さんの家族に対して厚顔無知のように2万元の医薬費をゆすり、もし渡さなければ、これからどんな問題が現れてもすべて緊急措置を取らない、と脅した。2007年10月、向中瑤さんは重慶江北区の留置場に移送されて、2007年11月に重慶永川刑務所まで強制連行された。

 向中瑤はさん(33歳女性)は中学の化学教師である。北京に行って法輪功の真相を説明したため、不法に部門の公職を剥奪されて、夫婦2人は前後して不法な労働による再教育、思想改造を受けた。1999年から2001年まで向中瑤さんは不法な労働による再教育を受け、重慶の茅家山の女子労動教養所で残虐な拷問に苦しめられた。かつて警官に3中隊の4階に監禁され、3ヶ月間も部屋の外のいかなる接触と断絶され、その中に1ヶ月ほど吊るされて手錠をはめられ、5日間昼夜を問わず手錠をはめて眠ることを許されず、その後また2日間繰り返された。さらに昼間吊るされて夜12時から朝6時ごろまでベッドの上で手錠をはめられていた。

 向中瑤さんは労動教養所から出て来た後、しかたなく路頭に迷った。2002年1月に広西で法輪功の真相を伝えて、また警官らに強制連行され、令状を提示しないまま連行されて広西の蒲県留置場で強制的に拘禁された。向中瑤さんは令状を提示されないまま強制的に7年の刑罰を下されただけでなく、夫の羅向旭さんも令状を提示されないまま強制的に4年の実刑判決を下された。 2004年に向中瑤さんと羅向旭さん2人は、やっと相前後して広西の女子刑務所と重慶市永川の男子刑務所から期限満了となって釈放され、自宅まで戻った。

 2007年1月17日(水曜)夜8時ごろ、パトカーは何台も法輪功修練者・向中瑤さんの家(貸し部屋)を一周取り囲み、不法に逮捕し、家財を差し押さえた。切迫した情勢の下で、羅向旭さんは強制的に4階から飛び込まされ、左手と右太ももを骨折し、満面血だらけとなった。警官は屋内からコンピュータ、プリンタおよび真相資料を没収して行ったのみならず、向中瑤さんの1歳の娘さんも皆パトカーに押し込まれ、連行された。

 重慶永川の女子刑務所は元の重慶永川刑務所の1つの中隊で、2002年に正式に開業し、重慶の女子刑務所を設立した。それ以後、2百人の法輪功修煉者はここで令状を提示されないまま強制的に拘禁された。今なおまだ約70人の法輪功修煉者は令状を提示されない状況下で強制的に拘禁されている。警官は長い間、法輪功修煉者たちが相互に話をする権利を剥奪し、互いに一言も話すことを許さない。

 2007年12月23日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/12/8/167938.html