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真に師を尊敬する心理状態で法を学ぶ


 文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)2007年8月7日、師父はわざわざ豪州の学習者をアメリカに呼ばれて、法を説かれました。この説法のビデオを繰り返し見てから、師父が説法される時の一つの言葉、一つの表情や目付き、身振り手振りなどは皆、宇宙法理の全体の現れであり、異なる次元の内包があると悟りました。師父に自ら伝授されている大法弟子として、最も慎重で謙虚な心理状態で、我々の全てを成就してくださる師父に接するようにしなければなりません。同修の交流文章の中でも豪州の一部分の同修が質問する時に、師を尊敬していない現象があると指摘しました。確かに、師父に質問する時、「もういいです」と師父が合図をされたにもかかわらず、自分の話したいことをまだ分かっていない(無意識のうちに常人の心で師父に対処してしまった)と恐れ、最後まで話し抜こうとする現象を見かけました。実は、「もういいです」と言う師父の合図そのものは、弟子の修煉を指導される法であり、それに対し、最後まで話し抜こうとするのは同修が師と法をあまり尊敬していない、理性的でない状態の現れなのです。

 豪州の同修の「表現」は鏡のように私を映し、「私は本当に師を尊敬しているのか」と自問してしまいました。内に向けて探してみたら、自分に現れていることは非常に良くないと気づきました。例えば、法の学習に関しては、長期以来法を尊敬していない状態があり、中にはずっと気が付かなかった現れもあり、気づいたているのにまだ修正していない現れもあるのです。

 一つ目は、法を学ぶ時に、心が静まらないことです。一心不乱に学ぶ時が少なく、雑念が出ることが多いのです。また主意識が強くないので、それらの妨害や思想業、よくない要素を排除することができなかったのです。法を学ぶ時に、心が落ち着かないと、つまり師を尊敬することにならず、法の内包ももちろん現れないのです。私はたくさん法を学習したのに、新しい会得が少なく、向上が遅い主な原因は、心を静めて法を学ぶことができないところにあると思います。

 二つ目は、大法を完全に通読できないことです。大法の中での一つの言葉、一つの文字の裏に皆法輪と師父の法身がおられるし、一層一層の仏、道、神もそこにいますから、一字一字は皆新宇宙を貫いているのです。師父は人類の最も内函が希薄である言語——現代中国語文で宇宙大法を伝えられておられますが、『転法輪』と全ての大法経文の排列順序は我々の修煉にとって非常に重要なのです。現代中国語文の中での句読点も師父の選択であり、これらの句読点が文字を補助して、大法著作の金剛不動で圓容した全体を形成しているのです。だから、弟子である私たちはどの大法の書籍を読むときも、最初から最後まで、一字も、一つの句読点も括弧も漏らさないように読むべきであり、このように学んで初めて大法の果てない内包を悟り、高次元の法をよく学ぶことができると思います。しかし、私は法を学ぶ時、よく句読点や括弧の部分(例えば、「拍手」、「師父が笑って」、「長時間の熱烈な拍手」などなど)を無視したり、チラッと見たりしていたのです。実はこれは師と法に対する不敬な行為なのです(これを悟ってから、また『転法輪』を読むと、本の中の句読点の使用が私の「想像」とは違うことに気付き、また新しい会得があったのです)。

 それから、求める心や数量を追及する心を持って法を学んだりすること、「よく法を学ぶと、邪悪に隙に付けいれられることがなくなる」という正しくない心理状態で法を学ぶこと、知識人のように一字一字を根掘り葉掘り見るように法を学ぶことがあり、これらの師父の要求に背いた正しくない状態も直接自らの向上と衆生を救い済度することの効果に影響を与えてしまったのです。

 今の新しい会得としては、師を尊敬することは、大法弟子にとって極当たり前のことであり、それは大法弟子の心性基準の現れであり、また旧勢力が魔難を設けて大法弟子を「試煉」する主な口実の一つでもあります。師を尊敬する心を持って法を学ぶようにして初めて真の大法の法理が見えるようになるのです。そして、このように大法の法理が分かると、更に理性的に師と法を尊敬するようになるのです。師を尊敬することと法を学ぶことはお互いに相補っており、師を尊敬することも、我々が法を正す修煉の中で出会ったあらゆる出来事とも内在的につながっているのです。本当に師を尊敬するようにすれば、意識的にまた無意識的に「自己を実証する」という間違いを犯すこともなくなり、いろいろな執着を取り除くことも簡単になり、それにより、神への道程を絶えず前進することができるのです。

 2007年12月23日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/12/9/167977.html