日本明慧
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神韻芸術祭のチケット販売についての悟り


 文/トロントの大法弟子

(日本明慧)

 一、チケット販売は大きな試験である

 全世界の65都市で上演される神韻芸術祭のチケット販売は全世界の弟子に対する全面的な検査と試験です。試験問題は全員の手元に配られたのです(芸術祭を行わない都市の修煉者を含む)。「どのように師父のほしいことを圓容するのか」、「未来の最も輝かしい覚者が持つべき善なる念を持っているのか」、「どのように自分と衆生との関係を対処し、衆生に危険が迫ってきている時、未来の最も輝かしい覚者として、覚者が持つべき慈悲と衆生を救い済度する能力を持っているのか」、「どのように自分を放下し、全力に全体を圓容し協調するのか」、「個人の力と師父が造った大法粒子の全体の力との関係を知っているのか」、「どのようにすべての常人の執着と観念を放下するのか、あなたは本当に神の状態になっているのか」などは試験問題です。

 地球のどこにいても、すべての人の試験問題は同じです。うまく答えられるかどうかは、現地のチケット販売の状況は試験の得点です。採点は各地の人数とチケットの枚数と関係ありません。法に対する明確な認識と、修煉によって得た純粋さは最大の支持となります。如何なる都市も、修煉において成熟し、法理に大きな突破があれば、他の都市に良い影響を与えます。それは神の正念と神力による助けです。さもないと、人心と人情からの助けとなり、役に立たないどころ、自分自身も不合格になったり、答案を白紙のままで出す恐れがあります。

 二、チケット販売は修煉であり、病気治療ではない

 神韻芸術祭を行う都市の全ての修煉者を一人の人間に喩えましょう。チケットが売れないことはこの人がひどい病気にかかったことに当たります。この時、この人は多くの方法で病気を治そうとしましたが、最後にやはり助からないのです。しかし、もしこの人が時間を大切に修煉したら、師父の法がすでに非常にはっきりと説かれていますが、病気がいつの間にかなくなるかもしれません。なぜならば、私達は修煉して、向上し、成熟しており、未来の宇宙の責任を負うことができるようになったため、「病気」が治ったのです。

 去年、師父は私達にそのような奇跡を見せてくれました。ニューヨークの2万枚のチケットは最後の1週間に突然、完売しました。師父はすでに多くの神の現象を使って「師父にできないことがない」ということを教えてくれました。しかし、今年のチケットはどうして売れないですか。私達は「病気がかかっています」が、まだ自分を修めたくなく、師父が病気を取ってくれるのを待っているからです。覚者は勝手に常人の病気を取ることができますか。もし私達は常人だったら、衆生を救う資格、新しい宇宙に入る資格がありますか。

 ある都市で数十万ドルの広告代がかかったり、ある都市で資料は百万枚を配られたりしましたが、全ての「病気治療」の方法は全部、思い付き、漢方医や西洋医を全部試みました。しかし、天目の開いた学習者によると、すべての配られた資料は灰色っぽい物質に覆われているので、資料を持っている人がどうしても何も見えないだそうです。その物質は何でしょうか。

 たくさんの学習者は他の人が協調してくれるのを待っています。協調してもらえなければ動かず、協調の方式は自分の観念に合わないと、非難や不平をこぼします。今度の試験がただ協調者だけに対する試験ようです。多くの学習者はただ体だけで協力しており、呼ばれたら来ますが、遅刻したり早退したりして、いいかげんにごまかそうとしています。7・20の時、国内の学習者が直面した試験を考えてみてください。あれは適当にごまかせば、合格できる試験なのでしょうか? 

 また、ある学習者は自分がやっているプロジェクトも神韻芸術祭を宣伝していることを理由に、時間があっても全体の協調活動に参与せず、他の人の方法が自分のより有効ではないと思っています。これらの心があるため、自分の方法と製品は灰色っぽいものによって覆われており、自分も「病気」がかかっています。

 皆さんの機嫌を取りながら、参加をお願いしたため、多くの協調者は修煉の中で現れた深刻な問題を触れる勇気がなく、励まして更に励ますことしかできません。良いことをよく口にしますが、他のことをあまり言及しません。場合によって、相手の責任を逃れるための理由を探す時さえあります。「彼らのプロジェクトは忙しいし、圧力が大きい」とか、「彼らは本当にとても努力しました」とか、「すでに参加したので、別のことを言わないようにしましょう」などなどです。これは確かに全員が参与しているという仮相を維持することができますが、残念ながら神をだますことができません。

 三、方法は修煉の状態を体現する  

 もっと良い方法、もっと優れた方法で宣伝する方法があると思う学習者がいます。これは事実ですが、この事実を成し遂げるために、私達は皆、その状態まで修煉しなければなりません。。大手企業を探している学習者もいれば、立地条件の良いところでチケットセンターを設立したり、マスコミとの連絡方法を考える学習者もいます。しかしこれらの緻密な作業が必要なことをしている人はいったい何人がいますか。普段は線香1本もあげていないのに、いざという時、仏の足にすがりつくということではありませんか。最後の一刻まで街で資料を配るという唯一の方法を除いて、さらに何ができますか?  

 たとえ本当に最後の一刻になったとしても、最も簡単なこの方法で、すべての人が参与し、不平をこぼさず、非難せず、すべての人が自分の不足を反省し、どのように補うか、チラシを配る人と紹介する人がどのように協調するのか、他にも配布の仕方があるのではないか考えたりして、全ての人が修煉の状態にあれば、師父も資料を覆っている灰色の物質を除いてくれます。チラシを受け取った衆生は「目が覚め」、チケットを買いに行くに違いありません。

 チケット販売は今回、世界範囲で危機に直面していますが、師父は何も話をしていないのです。私達は本当によく悟らなければなりません。師父は私達を神に成就させるために、一年また一年待ってくださり、、一回また一回耐えてくださいましたが、もしも今度また私達の代わりに耐えてくだされば、、私達が恐らく法を正す時期の大法弟子が圓満成就する機縁を失うかもしれません。その圓満成就は普通のものではありません!

 師父は法の中で病業に関する法理をたくさん説きました。病気がいくら重くても、修煉の心、真に修煉するという正念が出てきたら、病気は消えます。だから、私達の「病気」はいくら重そうに見えても、怖くはありません。この大きな試練の解答は、師父がすでに経書の中で書いてくださいました。すべての学習者は真剣に法を学び、お互いに本当な修煉の正念場を形成し、お互いに献身的に協力し合うことができれば、きっと突破することができます。

  2007年12月26日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/12/20/168737.html
(英語: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/12/22/92353.html