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山東省若手芸術家・周寧さんに対する迫害事実

(明慧日本)山東省の若手芸術家で、耳が不自由な学生に芸術を教える教師・周寧さんは、「真・善・忍」の信仰を堅持するため何度も迫害を受けた。何度も不法に逮捕され、勤め先を解雇され、家屋を没収され、仕方がなく家を出たが、2007年9月12日、済寧市で再度不法に捕まえられ、現在、済寧市留置場に拘束されて残酷な迫害を受けている。

周寧さんの生徒の作品

 法輪功修煉者・周寧さん(38歳男性)は、1994年に山東芸術学院デザイン学科を卒業。卒業後、自ら山東省済南市にある山東省特別教育専門学校に就職を志願した。同校で耳が不自由な学生の工芸美術教育に従事し、同校工芸美術専攻の創建者の一人でもあり、迫害される前は学校の教頭を担当した。

 周寧さんは卒業後、当時設立したばかりの、無名のこの中等専門学校に就職して、自分の才能と情熱をすべて耳が不自由な学生の工芸美術教育に力を注いだ。学生は美術と一般科目の基礎知識がともに弱い上、言語の交流もできない。周さんはいろいろな困難を乗り越えて、3年をかけて同校の第1期の学生を丹心込めて育てた。1997年5月、周寧さんは工芸美術専門の28人の耳が不自由な学生の木彫りの作品を持参して、北京の最もレベルが高い芸術の殿堂・中国美術館で「言葉がない心の声・木彫り作品展」を開催して大成功を収め、作品6点は同中国美術館に収蔵された。芸術界の専門家達は高い評価を与えて、これらの素朴な作品に感動し、その場で涙を流した専門家もいて、僅か大卒後3年の若手教師がどうやってこのような奇跡を起こしたのかと驚いた専門家もいた。当時、多くのメディアが作品展の盛況を報道した。
 1997年、周寧さんの第1期の学生は卒業を迎えた。耳が不自由な学生の就職を助けるため、彼と妻・蕭義霞さん(法輪功修煉者、1997年山東芸術学院デザイン学科卒業。「真・善・忍」を堅持するため何度も迫害された)は貯金を出して、学生を集めて「真言・造形美術部屋」を創立し、芸術分野における身体障害者の教育と就職の大胆な試みを始めた。迫害を受けた7年の間も、周寧夫妻はずっと「真・善・忍」に従い無償で学生を指導して、学生たちを次第に芸術の上で成熟させていった。

 1999年7月、邪悪の法輪大法に対する迫害が始まった。周寧夫妻は陳情して不法に捕まえられ、済南市市中区七賢鎮招待所内に設置された「洗脳班」に拘束され、半月後やっと家に帰った。
 学校側は周寧さんの一切の仕事を停止させ、周寧夫妻の行動を制限した。校門を出る時でも報告しなければならなかった。2000年旧正月前、周寧さんは不法に連行されて、家宅を捜査された。妻・蕭義霞さんが妊娠7カ月の時、周寧さんは済南市劉長山留置場に拘束された。学校側はまた毎日周さんの家に監視者を派遣して、妻・蕭義霞さんの行動を監視して妊娠中の蕭義霞さんに莫大なプレッシャーを与えた。

 周寧さんは劉長山留置場から出所後、学校側は今日まで7年間にもわたって周さんの給料の支払いを停止していた。学校は周寧さんに少しも「真・善・忍」を放棄する様子が見えないため、「610弁公室」に協力してイ坊地区まで行って周寧さんを連行しようとしたが、周さんに見抜かれて脱走された。その後、周さんはやむを得ず家を出た。2006年末、校長・王ウェン(雨の下に文)は障害者教育のため、学校のために多大な貢献をした優秀教師を「長年にわたって出勤しない」理由で解雇して、周さんの120㎡の住宅をも没収した。これで仕方なく家を出た周さんは、本当に帰る家もなくなった。

 「真言・造形美術部屋」も8年の迫害の中で何度もの困難に遭った。周寧夫妻は警官の連行を避けるためにやむを得ずよく部屋を引っ越したが、やはり2度も不法に家財を差し押さえられ、経済的な損失ははかりしれないほど大きく、正常な創作の環境も失った。

 2007年9月12日、済寧市に一時的に落ち着いた周寧夫妻と幼い子供(2歳未満)、および美術部屋の耳が不自由な学生2人は不法に連行され、周さんはもうすぐ不法に裁判をされる。蕭義霞さんと幼い息子・天賜君、および学生らは1カ月間拘留された後に釈放されたが、現在、非常に困難な立場にある。正義の人々は援助の手を差し伸べて、中国で起った「真・善・忍」を修煉している人々に対する迫害を早く停止させるように呼びかけたい。

 2007年12月30日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/12/27/169121.html